関西で「茶臼山古墳」といえば、大阪・天王寺公園にある茶臼山古墳が有名です。
しかし、滋賀県にも、茶臼山古墳という名の古墳があることをご存じでしょうか。
それが、今回ご紹介する大津・膳所の茶臼山古墳。国の史跡に指定されています。
他の同名古墳と区別するため、「膳所茶臼山古墳」とも呼ばれます。
大友皇子の伝承が残る古墳
この茶臼山古墳は、古墳時代中期に作られたと推定される前方後円墳。
墳丘長は122mで、滋賀県では第三位の大きさを誇ります。
茶臼山古墳の被葬者は未だ不明。
しかし、大友皇子埋葬の伝承も残る、古代の歴史ロマンを感じさせる古墳です。
国の史跡にも指定されています。

大友皇子は、近江大津京を開いた天智天皇の皇子。
天智天皇没後にその後継者になった人物で、弘文天皇とも呼ばれます。
しかし、跡を継いでまもなく、吉野に隠遁していた、叔父の大海人皇子(後の天武天皇)が近江朝廷に反旗を翻します。これが壬申の乱です。

近江・大和を中心に激しい戦闘が行われた結果、勝利したのは大海人皇子。
戦いに敗れた大友皇子は、25歳の若さでその生涯を終えました。
この大友皇子最後の地ともされるのが、当時は大津京の中にあったこの膳所の地です。
戦に敗れ、傷ついた大友皇子は、ここで自ら首をくくって最後を遂げたと伝わります。

茶臼山古墳の見どころ
この茶臼山古墳は、宮内庁に管理されている陵墓などとは違い、誰でも自由に見学できます。墳丘の上に登ることもできます。
また、茶臼山古墳は、東を正面とする前方後円墳。
つまり、墳丘の東側が前方部(方形部)、西側が後円部です。
東側の前方部には、墳丘への登り口があります。

前方部には小さな社
登り口からは、木々が茂る中を細い階段がのびています。
その階段途中に立つ、古びた1つの鳥居。「秋葉神社」と記された扁額が掲げられています。

この秋葉神社は、墳丘東側の方形部の真上にある神社。
小さいながらもきちんと手入れされた神社の境内には、ご本殿や拝殿も立っています。

後円部には葬り塚
秋葉神社の背後には、さらに道が続いています。
前方後円墳の「くびれ部分」を通過したその先は、古墳西側の後円部。
一般には、後円部は、被葬者が埋葬されている、前方後円墳の中で最も重要な部分です。
がらんとして一見何もなさそうな茶臼山古墳の後円部。しかし、よく見ると、頂部付近にいくつかの小さな塚が残されています。
これらの塚は「葬り塚」と呼ばれています。この地で亡くなった大友皇子とその配下たちを葬った塚とされています。

茶臼山古墳の基本情報
住所:滋賀県大津市秋葉台35
アクセス:(京阪)膳所本町駅から徒歩10分 (JR)膳所駅から徒歩20分
駐車場:有
備考:見学自由