ペリーの黒船来航以来、日本中に尊皇攘夷の嵐が吹き荒れた幕末。
その状況下、江戸幕府は、京に近い大阪(大坂)の防衛のため、急遽、大阪湾岸にいくつもの海防施設を建設しました。
その1つが、今回ご紹介する、兵庫県西宮市の御前浜に残る西宮砲台です。
当時大阪湾周辺に建設された数多くの砲台の中で、現存する貴重な幕末遺構の1つ。
国の史跡にも指定されています。
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海辺の公園にポツンと残る白い要塞
西宮砲台は、海に面した御前浜公園の片隅に残されています。
砲台というと、大きな大砲を据え付けるコンクリート製の台座のようなものをイメージされるかもしれませんが、ここの砲台はそれとはちょっと違います。
遠目にも目立つ白色の大きな円筒形構造物で、その外壁は分厚く強固。
まさに白い「要塞」です。
今は周囲に埋め立て地が広がっていますが、当時は、眼前の海を一望できる防衛の要であったことでしょう。
白壁に並ぶたくさんの砲眼
その外観からはコンクリート製にも見える西宮砲台ですが、実際は花崗岩を組み上げて作られた石造物です。
漆喰で仕上げられた美しい白色の外壁。
ただ、近づいて眺めると、ところどころ漆喰が剥げ落ちているところに、幕末からの長い年月を感じさせます。
砲台の白い外壁には、四角形の穴がいくつも開けられています。
穴の数は全部で12個。
そのうち、11個の穴は大砲を撃つための「砲眼」で、残りの1つは「窓」です。
内部に据えた大砲の砲身を砲眼から突き出させ、眼前の海を航行する軍艦に向けて、ドカン!と砲弾を撃つわけですね。
11個の砲眼は、砲台の全周にほぼ等間隔で並べられており、四方に砲撃が可能でした。
実戦には使用されず
多くの工数をかけて完成したこの西宮砲台。
しかし、実戦で火を噴くことはありませんでした。
まず、完成後の大砲試射で、煙が内部に充満してしまうという重大な構造的欠陥が発覚。
これでは射手の兵隊さんも大変。砲撃どころではありません。
また、せっかく完成したものの、すぐに大政奉還→明治維新を迎えたことも実戦使用の機会がなかった理由の1つです。
大政奉還後も旧幕府軍が大坂城に残り、薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍と激しく戦うことがあったならば、もしかするとこの西宮砲台も使われたかもしれませんね。
また、明治以降は外国軍艦が大阪湾に侵入する危険性もなくなり、海防用砲台の必要性も大きく薄れました。
西宮砲台の基本情報
住所:兵庫県西宮市西波止町1(御前浜公園内)
入場時間:24時間いつでも入場可能(砲台内部は非公開)
入場料:無料
アクセス:(阪神)香櫨園駅から夙川沿いを歩いて徒歩17分
駐車場:御前浜公園駐車場(駐車台数82台)
ホームページ:御前浜公園(西宮市ホームページ)