法隆寺をはじめ、飛鳥時代創建の古寺が残る、奈良県の斑鳩(いかるが)。
その一方で、ここは、法隆寺よりもさらに古い、多くの古墳が残る地でもあります。
今回ご紹介する藤ノ木古墳は、この斑鳩の古墳の代表格。
発掘調査で石室から石棺が見つかり、装飾品も多数出土しました。
現在、藤ノ木古墳は、国の史跡に指定されています。
スポンサーリンク
未盗掘で残された古墳
藤ノ木古墳は、法隆寺の少し西にあります。
築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半。
7世紀初頭の建立と伝わる法隆寺よりも、年代はさらに古いのです。
1985年から始められた発掘調査では、中から未盗掘の石室が見つかりました。
なお、天皇陵など一部を除き、古墳の中は、盗掘などで荒らされているのが普通。
飛鳥の石舞台古墳などは石室しか残されてませんね。
そんな中、1400年以上もの長い間、手をつけられずに残されていた藤ノ木古墳。
石室の中からは、石棺と、馬具などおびただしい量の装飾品が見つかりました。
古墳の被葬者は誰?
石棺の中には、2名の人物が合葬されていました。
2名とも、成人の男性と推定されています。
それが誰なのか気になるところですが、現在ではまだ確定には至っていません。
ただ、石棺内にも豪華な装飾品が多数残されていたことから、被葬者は皇族など高位の人物であると考えられています。
被葬者の有力説は、穴穂部皇子(あなほべのみこ)と宅部皇子(やかべのみこ)。
穴穂部皇子は、第29代欽明天皇の皇子の1人で、聖徳太子の叔父にあたる人物です。
第31代用明天皇の崩御後、物部氏と結んで次期天皇を狙いますが、親しい宅部皇子ともども、対立する蘇我馬子に暗殺されてしまいました。
一方で、別の被葬者説として、第32代崇峻天皇の名も挙がっています。
崇峻天皇も欽明天皇の皇子であり、穴穂部皇子の同母弟。
蘇我馬子に擁立されて天皇となりましたが、やがて馬子と対立し、兄と同じく暗殺されてしまいました。
現代まで続く皇統の中で、唯一、臣下に殺害された、お気の毒な天皇です。
現在の藤ノ木古墳
十数年の発掘調査を終えた藤ノ木古墳は、その後、周辺の整備が行われ、現在は史跡公園となっています。
古墳の周囲には遊歩道、その脇には説明板が置かれ、休憩用のベンチも置かれています。
さて、その公園の中心に残る藤ノ木古墳は、小さな丘のような形をした円墳。
古墳というと、仁徳天皇陵のような大きな前方後円墳を思い浮かべる方も多いと思います。
ただ、藤ノ木古墳が作られた古墳時代後期は、古墳が小型化していた時期。
形も、それまでの前方後円墳に代わり、円墳や方墳が増えつつありました。
とはいえ、藤ノ木古墳の大きさは、直径は約50m、高さは約10m。円墳としてはかなり大きな部類に入ります。
古墳の中には、土に覆われた石室があります。
横に入口が開いた、いわゆる、横穴式石室です。
石室は扉で閉じられていますが、その扉のガラス窓越しに中を覗くことができます。
斑鳩文化財センター
とはいうものの、現在の藤ノ木古墳は、見た目にはただの丘。
公園内に説明板はありますが、それだけでは、古墳の詳しいことまではわかりません。
そこで、藤ノ木古墳についてもう少し詳しく知りたい、という方におすすめなのが、斑鳩文化財センター(斑鳩町文化財活用センター)。
古墳から少し南にあるこのセンターは、藤ノ木古墳のガイダンス施設です。
藤ノ木古墳の説明とともに、発掘調査で発見された出土品(レプリカ)が多数展示されています。
(本物の出土品は国宝・国重要文化財指定、奈良県立橿原考古学研究所で保管)
入館は無料。また、施設スタッフの方から詳しい説明も受けられます。
藤ノ木古墳・斑鳩文化財センターの基本情報
(藤ノ木古墳)
住所: 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目1
アクセス:
(JR)法隆寺駅から徒歩25分
(バス利用)JR法隆寺駅から「法隆寺門前」バス停下車、または、JR・近鉄王寺駅から「斑鳩町役場」バス停下車、徒歩数分
駐車場:無(法隆寺近辺の駐車場を利用)
備考:入場自由
(斑鳩文化財センター)
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西1丁目11番14号
電話番号:0745-70-1200
開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時半まで)
休館日:毎週水曜日(休日の場合は開館)、年末年始(12/28~1/4)
入館料:無料
アクセス:
(JR)法隆寺駅から徒歩20分
(バス利用)JR法隆寺駅から「法隆寺門前」バス停下車、または、JR・近鉄王寺駅から「斑鳩町役場」バス停下車、徒歩数分
駐車場:有
ホームページ:斑鳩町文化財活用センター(斑鳩町ホームページ)