奈良県中部の飛鳥は、1400年以上も飛鳥時代に都が置かれた地。
飛鳥の各地には、古代の遺跡や古寺、古墳など、その長い歴史を感じさせる名所旧跡が残ります。
その1つが、今回ご紹介する石舞台古墳。石室が土に覆われずにむき出しになった古墳です。
国の特別史跡にも指定されています。
巨大な石組みがむき出し
普通の古墳は、たいてい、石室が土で覆われて、こんもりとした丘のような形をしていますね。
しかし、この石舞台古墳は違います。覆土がまったくなく、巨大な石組みが地表にむき出し。
この石組みは、埋葬者の石棺が納められる横穴式石室を形作っている石。
一度見たら忘れない、強烈な印象を与える特異な古墳です。

埋葬者は「蘇我馬子」説が有力
石舞台古墳の埋葬者は確定はされていません。ただし、現在では、蘇我馬子(そがのうまこ)であるという説が最も有力です。
蘇我馬子は、当時の有力豪族・蘇我氏の長。
日本に伝来したばかりの仏教を積極的に取り入れ、日本最初の寺院とも言われる飛鳥寺を創建した人物です。
また、当時の摂政、聖徳太子(厩戸皇子)とも良好な関係を築きました。

石室を覆う大きな天井石
石室が地面から露出した石舞台古墳。
もともとは、他の古墳と同様、ここの石室も土で覆われていたと考えられています。土がなくなった時期や理由については諸説ありますが、未だ謎です。
石室を構成する大小約30個の石。
特に目立つのは、南北に並ぶ巨大な2つの岩、石室を覆う天井石です。

南側の天井石は大きな石の塊。その重量は約77トン。
北側の天井石はやや平たい形をしています。南の石よりも少し小さいですが、それでも重さは約64トン。
しかし、古墳が作られた当時は、もちろん、トラックやクレーンなど何もない時代。
そんな時代に、これだけの巨石を遠くから運搬して据え付けた、古代人の技術には今さらながら驚かされます。

意外にも広い石室
石舞台古墳では、中の石室の見学もできます。石室への入口は、南側の天井石の下にあります。
入口からは、幅2.5m、長さ12mの羨道(えんどう)が奥へのびています。
その奥は石で囲まれた空間。石棺が置かれていた玄室(げんしつ)です。

石室の中から眺める頑丈な石組。巨大な2つの天井石をしっかりと支えています。
石と石の隙間から光が差し込んでくるため、石室の中はそれほど暗くはありません。
なお、石舞台古墳で地面の上に露出しているのは、古墳全体のほんの一部。地面の下にはまだまだ石組が埋まっており、古墳の内部は意外と広いです。
玄室の幅は幅3.5m、奥行き7.7m、高さ4.7m。大人が両腕を思いっきりのばしても、壁や天井に手が届かないくらいの広さです。

石舞台古墳の基本情報
住所:奈良県高市郡明日香村島庄254番地
入場時間:9:00~17:00 年中無休
入場料:大人300円 高校生~小学生100円
アクセス:(近鉄)飛鳥駅から徒歩25分 (明日香周遊バス)「石舞台」下車すぐ
ホームページ:石舞台古墳(国営飛鳥歴史公園ホームページ内)