大阪府の北東部、北摂・三島地域は、多くの古墳が残るエリアの1つ。
規模は、百舌鳥古墳群の仁徳天皇陵や古市古墳群の応神天皇陵には及びませんが、それでも、墳丘長100mを超える古墳も存在します。
この三島地域を代表する古墳が、高槻市にある国指定史跡・今城塚古墳(いましろづかこふん)。
宮内庁の治定を受けていないこともあり、墳丘内に立ち入ることができる、数少ない大型古墳の1つです。
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真の継体天皇陵説が有力
今城塚古墳は、墳丘長190mの大型前方後円墳。
大阪府三島地域では、西の茨木市にある太田茶臼山古墳(下の写真)と双璧です。
なお、太田茶臼山古墳は、宮内庁により第26代継体天皇の陵に治定されている古墳です。
ただ、築造時期は5世紀中頃で継体天皇陵の没年よりもかなり前で、現在ではその治定に疑問符がついています。
また、宮内庁の管理下にあるため、墳丘内に立ち入っての調査などは認められていません。
これに対して、今城塚古墳は、宮内庁の管理から外れていることが逆に幸いし、これまでに何度も発掘調査が行われました。
その結果、こちらの築造時期は、継体天皇の没年に近い6世紀前半と判明。
また、石棺や装飾品、埴輪などが多数出土し、古の大王(天皇)の陵墓である可能性が高くなりました。
現在では、今城塚古墳が、真の継体天皇陵であるという説が有力になっています。
今城塚古墳の見どころ
現在、今城塚古墳は国の史跡に指定されています。
また、古墳周辺は、「今城塚古墳公園」として整備されています。
墳丘を中心としたその開放的な空間には、遊歩道や芝生広場もあり。
誰でも気軽に入ることのできる公園です。
円筒埴輪が並ぶ遊歩道
古墳の外周には遊歩道が整備され、墳丘の周りをひとめぐりできます。
遊歩道にそばにずらりと並んでいるのは、無数の円筒埴輪。
この埴輪列は、聖域である墳丘を守るための結界です。
築造当時の墳丘は、円筒埴輪で幾重にも取り囲まれていたそうですよ。
内濠・芝生公園
今城塚古墳の墳丘は、内濠・外濠の二重の濠に囲まれていました。
墳丘のすぐ外側を取り囲んでいるのが内濠。
昔は、墳丘全体が水濠で囲まれていたようですが、下の写真のように、現在水が残るのは墳丘北西側(前方部周辺)のみです。
他の部分の内濠が土で埋まっているのは、豊臣秀吉の時代に発生した慶長伏見地震が原因。
巨大地震で墳丘が地滑りを起こし、その土が外側の濠に流れ込んだのです。
現在、土で埋まった内濠部分は芝生公園に整備されています。
濠の中に降りて芝生でくつろぐのも、もちろんOKです。
墳丘
芝生が広がる内濠から、さらに、中央の墳丘にも登ることができます。
前方後円墳である今城塚古墳は、前方部と後円部とがつながった「鍵穴」のような形をしています。
その前方部と後円部との間のくびれの位置にある、張り出し部分。
ここは、造出(つくりだし)。儀式などを行った場所とされています。
墳丘内には小道が整備されており、自由に散策できます。
前方部と後円部の丘の上にも登れます。
昔の地震で崩れ、築造当時と比べれば低くなっていますが、それでも、前方部や後円部の高さは10m以上あります。
埴輪祭祀場
いろいろ見どころの多い今城塚古墳。
しかし、その中でも一番の特徴は、墳丘の横、内濠の北側に張り出して作られた埴輪祭祀場です。
発掘調査では、人物、動物、建物など、多数の形象埴輪がここから発見されました。
墳丘の完成後に追加で作られたこともわかっています。
実際に行われた埋葬の儀式の様子を、埴輪を使って再現した場所と考えられています。
発掘調査を終えた現在は、埴輪祭祀場も復元されています。
一列に並ぶ馬や鳥、大きな家、そして、どこか可愛げなお顔の力士の埴輪。
いろんな種類の埴輪が並ぶ、賑やかな「埴輪まつりのステージ」です。
近くには今城塚古代歴史館
今城塚古墳の北隣には、今城塚古墳歴史館があります。
ここは、今城塚古墳を中心に、古墳時代の三島地域の歴史を紹介する博物館。
近隣古墳から見つかった古代神獣鏡や、今城塚古墳の形象埴輪の実物など、貴重な出土品が展示されています。
入場は無料。せっかくですからちょっと足をのばしてみましょう。
今城塚古墳についての理解が深まること間違いなしです。
(詳細は、「今城塚古代歴史館」のページをご覧ください)
今城塚古墳の基本情報
住所:大阪府高槻市郡家新町48−8
電話番号:072-682-0820(今城塚古代歴史館)
アクセス:
(JR)摂津富田駅から徒歩25分
(阪急)富田駅から徒歩25分
(バス利用)JR高槻駅・摂津富田駅から市バス乗車、「今城塚古墳前」下車すぐ
駐車場:有(今城塚歴史博物館)
備考:入場自由
ホームページ:いましろ 大王の杜(高槻市ホームページ)