埋木舎|幕末大老・井伊直弼、若き日を過ごした屋敷跡(滋賀名所巡り)

国宝の現存天守で有名な彦根城
その正面にあたる佐和口近くに、昔の彦根藩の屋敷跡が残ります。

それが、今回ご紹介する埋木舎(うもれぎのや)。

幕末の彦根藩主で、江戸幕府の大老も務めた井伊直弼(いいなおすけ)が、その若年時代に過ごした館です。

埋木舎

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不遇の若年時代

井伊直弼は、江戸時代末期の1815年、彦根藩井伊家十三代藩主の子として誕生しました。

しかし、藩主の息子といっても、十四男の庶子(側室の子)であった直弼。
普通なら世継ぎになれるわけもなく、若年時代は不遇を囲いました。

しかし、十四代藩主である兄の養子になったことから状況は一変します。
兄が亡くなった後に彦根藩主を継ぎ、さらに、幕府の大老も務めました。

彦根城

この井伊直弼が、不遇であった若年時代に、15年間も暮らしたのがこの埋木舎。

世に出ることがない、まるで「埋もれ木」のような自らの境遇から、このような名前を付けたと言われています。

しかし、境遇に腐ることなく、学問やさまざまな技芸に励んだ直弼。

幕府大老として辣腕を振るえたのも、若き日の修練がベースにあったのかもしれません。

埋木舎入口

埋木舎の見どころ

埋木舎は、明治維新の後も、幸いにも壊されず残されました。
また、昭和から平成にかけて大規模な解体修理が行われ、直弼時代の家屋も復元されました。

さて、埋木舎の入口の門をくぐると、まず、木に掛けられた一句が目に入ります。
「むっとして もどれば 庭に柳かな」

この句は、外出先で腹を立てて戻ってきた直弼が、庭の柳を見て、心を落ち着かせるために詠んだものと言われています。

埋木舎・直弼の句

十四男といえども、さすがは藩主の息子の屋敷ですね。
いくつもの畳敷きの部屋が備えられた埋木舎、意外に立派な館です。

なお、部屋の中に入ることはできませんが、庭を歩きながら、外からそれぞれの部屋を眺めることができるようになっています。

庭を歩き始めて、まず目にするのは表座敷。
当主である井伊直弼が、客人を応接するための部屋です。
横には茶室も備えられています。

埋木舎・表座敷

また、曹洞宗に帰依していた直弼。

曹洞宗のお寺へ出向くだけでなく、ここ埋木舎で禅の修行も行っていたそうです。
その坐禅修行の場が、坐禅の間。

なお、井伊直弼は、幕末を代表する有名人の1人。
そのため、幕末を舞台とした大河ドラマでは必須の登場人物です。

坐禅の間にはたくさんの顔写真が並べられていますが、これらは、過去の大河ドラマで井伊直弼を演じた俳優さんたちのお顔です。

埋木舎・坐禅の間

直弼の生活の場であった居間もあります。

ここは、学問や読書をする場所でもあり、さらに、書や和歌など技芸の習得に励んだ部屋でもあります。

その他、埋木舎には、直弼の側室が子を産んだ部屋、御産の間や、浴室・脱衣所なども残ります。
若き日の直弼の暮らしぶりが感じられます。

埋木舎・御居間

埋木舎の基本情報

住所:滋賀県彦根市尾末町1−11

電話番号:0749-23-5268

開館時間:午前9時~午後5時

休館日:毎週月曜日(祝祭日の場合は翌日休館)

入館料:大人300円 高大生200円 小中生100円

アクセス:(JR・近江鉄道)彦根駅から徒歩10分

埋木舎地図

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