京都霊山護国神社|龍馬に桂小五郎、幕末志士の眠る山(京都名所巡り)

京都霊山護国神社 神社(京都)

法観寺の八坂の塔を中心に、風情ある町並みが広がる京都・東山。

観光客で賑わうエリアの東奥、喧騒から離れた静かな場所に1つの神社があります。

それが、霊山(りょうぜん)の麓に鎮座する、京都霊山護国神社。

境内には、坂本龍馬など、数多くの幕末志士たちのお墓あり。

京都の「幕末維新スポット」の1つです。

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創建は明治元年

現在も各地に存在する「護国神社」は、国家のために命をささげた、国事遭難者を祀る神社です。

その中でも、京都霊山護国神社は最古級の護国神社。

明治元年、倒幕に命をささげた数多くの志士たちを弔うため、明治天皇の命により創建されました。

京都霊山護国神社

その後、日清戦争・日露戦争・日中戦争・太平洋戦争などの戦死者も合祀。

現在、ここには、7万柱以上の国事遭難者が祭神として祀られています。

京都霊山護国神社・拝殿

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幕末志士たちが眠る霊山墓地

拝殿に向かって右手にあるのは、東山三十六峰の1つ、霊山(りょうぜん)。その霊山の斜面に、多くのお墓が並んでいます。

ここは、幕末維新の志士たちが眠る場所。

池田屋事件の宮部鼎蔵、禁門の変(蛤御門の変)の久坂玄瑞、天誅組の吉村虎太郎など、有名志士の名前もあり。

その中でも、最注目の志士は、坂本龍馬・中岡慎太郎と木戸孝允(桂小五郎)です。

京都霊山護国神社・霊山墓地案内図

坂本龍馬&中岡慎太郎

数ある幕末志士の中でも、第一級の知名度と人気を誇る、坂本龍馬。

土佐藩を脱藩後、伏見の寺田屋などを拠点に各地で倒幕活動に奔走。

亀山社中(海援隊)を設立し、また、薩摩の西郷隆盛と長州の桂小五郎を結びつけて「薩長同盟」を成立させるなど、多くの功績を残しました。

しかし、明治維新の直前、京・三条河原町の近江屋で何者かに暗殺されました。まだ31歳という若さでした。

寺田屋|旅籠の中は幕末気分楽しめる「龍馬資料館」(京都名所巡り)
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京都霊山護国神社・坂本龍馬と中岡慎太郎の像

中岡慎太郎も、龍馬と同じく、土佐出身の脱藩志士です。

坂本龍馬の海援隊に対して、陸援隊を結成。多くの尊皇志士たちをまとめ、龍馬とは違った角度から倒幕を進めました。

しかし、その彼も、京の近江屋で坂本龍馬とともに襲撃を受け、29歳の短い生涯を終えました。

ともに土佐出身の志士として活躍した坂本龍馬と中岡慎太郎。

2人のお墓は左右隣り合わせ。仲良く並んで眠っています。

京都霊山護国神社・坂本龍馬と中岡慎太郎の墓所

なお、霊山墓地の中でも、特に、龍馬と慎太郎のお墓がある辺りは、視界が開けた眺望のよい場所。

ここから、京都市街を一望できます。

目の前に見える古塔は、京都東山のシンボル・八坂の塔。また、左手遠くを眺めれば、京都タワーも見えますよ。

京都霊山護国神社・霊山墓地からの眺望

木戸孝允(桂小五郎)&妻・松子

霊山墓地の中の一段高い位置に立つ、立派なお墓。

これは、維新元勲・木戸孝允(きどたかよし)の墓所です。

木戸孝允は、「桂小五郎」の旧名で知られるこの人物は、幕末における長州藩の中心的な存在でした。

坂本龍馬の仲介で薩摩藩と薩長同盟を結ぶなど、その活躍は明治維新の原動力となりました。

また、多くの藩士が命を落とした長州藩の中で、幕末の動乱時期を生き抜いた数少ない人物の1人です。

薩摩出身の西郷隆盛・大久保利通とともに、「維新三傑」とも呼ばれます。

京都霊山護国神社・木戸孝允(桂小五郎)墓

木戸孝允のすぐ隣には、妻の松子のお墓もあります。

もとは、京都の芸妓「幾松」。

幕末、京で尊皇志士として活動していた木戸孝允と出会って恋仲になり、明治時代に入って結婚しました。

まだまだ身分制度が色濃く残されていた当時。

維新元勲と元・芸妓との身分差婚は、かなりセンセーショナルな出来事であったのではないかと思います。

京都霊山護国神社・木戸松子(木戸孝允妻)墓

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京都霊山護国神社の基本情報

住所:京都市東山区清閑寺霊山町1

参拝時間:(開門)午前8時 (入山受付)午前9時 (閉門)午後5時

霊山墳墓拝観料:大人300円 小中学生200円

アクセス:
(京阪)祇園四条・清水五条からそれぞれ徒歩20分
(バス利用)JR京都駅・京阪祇園四条・阪急河原町駅から市バス乗車、「東山安井」下車、徒歩10分

駐車場:無

ホームページ:京都霊山護国神社

京都霊山護国神社地図