京都市の西部、小倉山の麓に広がる風光明媚な地、嵯峨野。
古いお寺や神社が点在するこの嵯峨野に、周囲の景色に調和した風情ある建物が残ります。
ここは落柿舎(らくししゃ)。
俳聖・松尾芭蕉の門人の1人、俳人・向井去来(むかいきょらい)が暮らした庵です。

芭蕉高弟・向井去来の庵
向井去来は、江戸時代前半に活躍した俳人です。もとは武士でしたが、若い頃にその身分を捨て、この道に進みました。
俳聖・松尾芭蕉の門人の中でも、特に俳諧感覚に優れた高弟の1人に数えられます。
さて、その向井去来が壮年の頃に構えた草庵が、落柿舎。
名前の由来は、庵に植えられていた柿の木から。
当時、40本もの柿の木があったとされるこの草庵。
しかし、ある秋の日、木になっていたたくさんの柿の実が、一夜にして、ほとんど全て落ちてしまいました。
その出来事をきっかけに、去来自ら、この庵を「落柿舎」と名付けたそうです。

この落柿舎には、師匠の松尾芭蕉もしばしば訪れています。
半月以上、ここに逗留することもあったそう。芭蕉にとって、去来は気の合う門人の1人であったのでしょう。
なお、向井去来は、師匠の松尾芭蕉が没して10年後に、54歳でその生涯を閉じました。
落柿舎の裏手の墓地には、去来のお墓が残ります。

趣ある庵と俳人たちの句碑
去来が暮らし、芭蕉をはじめさまざまな俳人たちが訪れたこの落柿舎。
柿の木が茂る中にたたずむ、趣ある庵。その周囲には俳人たちの句碑が並びます。
昔の俳人たちの句に囲まれて、今にも一句浮かびそうな雰囲気の空間で、俳句好きなら一度は訪れたい場所です。
なお、現在の落柿舎は、去来没後の1770年に再建されたものです。

本庵
門をくぐった先の正面に、茅葺き屋根の風情ある建物が立っています。
これが、落柿舎の本庵です。
庵の中は、畳敷きの小部屋に仕切られています。畳に上がることはできませんが、軒先から中を眺めることはできます。

庵の正面壁には簑と笠が掛けられています。
蓑と笠は、昔の雨具で外出時の必需品。ただし、ここでは、庵を訪れた人に、あるじの在宅を示す「目印」にもなっています。

また、庵の柱に掛けられている筒は、「投句箱」です。
「句力」に自信がある方は、頭をひねって作句にチャレンジ!
去来先生の庵のそばで、何かいい一句、浮かびませんか?

俳人たちの句碑
本庵の奥は、柿の木に囲まれた静かな空間が広がります。
ここには、去来をはじめとするさまざまな俳人の句碑が置かれています。
境内をめぐりながら句碑を探してみましょう。どんな人のどんな句があるのかな?
まずは、去来の句碑。「柿主や梢はちかきあらし山」

また、去来の師匠・松尾芭蕉の句碑もあります。「五月雨や色紙へぎたる壁の跡」
その他、明治時代の俳人・高浜虚子の句碑や、明治天皇の后・昭憲皇太后の歌碑など、数くの碑が置かれています。

落柿舎の基本情報
住所:京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20
入園時間:午前9時~午後5時(1月・2月は午前10時~午後4時)
休園日:12/31,1/1
入園料:300円
アクセス:
(JR)嵯峨嵐山駅から徒歩15分
(京福電鉄嵐山線)嵐山駅から徒歩15分
(阪急)嵐山駅から徒歩25分