京都市伏見区の南部、伏見桃山は、豊臣秀吉の伏見城の城下町として発展した町。
伏見城が廃城となった江戸時代以降も、大坂・京を結ぶ淀川水運の拠点として大いに栄えました。
水路には十石船・三十石船が浮かび、風情ある町並みが今も残ります。町の各所に残る名所旧跡を訪れながら、のんびりと歩いてみませんか。
さて、この伏見桃山の町を象徴するキーワードは2つ。それは「幕末」と「お酒」。
今回は、この2つをテーマに伏見桃山のおすすめ名所をご紹介していきます。
幕末動乱と戊辰戦争
江戸時代、京と大坂を結び、上方の大動脈として発達した淀川水運。
この淀川水運の終着点であったのが伏見、京の玄関口として栄えました。町にはたくさんの船宿が並び、有力諸藩の藩邸も置かれました。
また、幕末には、坂本龍馬をはじめとする諸国の志士たちが、伏見を経て京へ上りました。
さらに、戊辰戦争の緒戦、鳥羽・伏見の戦いの場となったことでも知られます。

寺田屋
寺田屋は、江戸時代の伏見にあった船宿の1つ。
幕末には、「寺田屋事件」と呼ばれる大きな出来事が二度も発生しました。
一度目は、薩摩藩の過激派藩士たちが、薩摩藩主の命で粛清された事件。同じ薩摩藩士同士が激しく斬り合う、血なまぐさい場所となりました。

二度目は、かの有名な坂本龍馬が襲撃された事件。
坂本龍馬は、京で薩長同盟を仲介した直後にこの寺田屋に逗留していました。
襲撃者に刀で切りつけられて負傷した龍馬、しかし間一髪逃れ、伏見の薩摩藩邸で保護されました。
事件の舞台となった場所には、現在、石碑や坂本龍馬像などが置かれています。

その西隣には、旅籠寺田屋という建物があります。
江戸時代風の建物ですが、龍馬が襲われた当時の寺田屋かどうかは不明。明治以降の再建とも言われています。
再建かどうかは別として、幕末維新や坂本龍馬がお好きな方にはおすすめ。館内は、龍馬直筆の手紙や龍馬の写真などが所狭しと並べられた、「龍馬資料館」です。


御香宮神社
伏見桃山の町を東西に貫く大手筋。この大手筋沿いに立つのが、伏見の名社、御香宮神社です。
境内南側の正面に立つ表門は、伏見城からの移築とされています。

戊辰戦争緒戦の鳥羽・伏見の戦いでは、この御香宮神社は新政府軍の主力、薩摩藩の本営となりました。
薩摩藩はここに大砲を据え付け、すぐ南の伏見奉行所に籠もる旧幕府軍を砲撃。
その威力はすさまじく、伏見奉行所の建物を粉砕します。旧幕府軍は伏見からの撤退を余儀なくされました。
御香宮神社の境内には、伏見の戦跡の石碑が建てられています。


日本有数の酒どころ
伏見は水に恵まれた土地。地面の下を伏流水が流れ、至るところで名水が湧き出ています。
名水あるところには、うまい酒あり。
ここ伏見は、古くから日本有数の酒どころとして知られています。

伏見桃山の町には、今も、大小さまざまな蔵元が残ります。
気軽に伏見の名酒を試飲できる施設もあります。
ただし、たとえ試飲でも車の運転は厳禁、お酒を楽しむなら公共交通機関のご利用を。

月桂冠大倉記念館
伏見の大手蔵元、月桂冠が運営するお酒の記念館。
古い酒蔵を改築して作られた記念館の建物内では、昔の酒造道具が数多く展示されています。
また、月桂冠の歴史が貴重な資料とともに紹介されています。

お酒好きな方にはうれしい、試飲コーナーもあります。タイプの異なる三種類のお酒が楽しめます。
また、記念館にはショップも併設されています。ここにしかない限定酒もありますよ。


キザクラカッパカントリー
月桂冠と並ぶ伏見の蔵元、黄桜酒造の施設。こちらはレストラン、ショップ、記念館の複合施設です。
黄桜酒造は、地ビールにも力を入れている蔵元。レストランやショップには、日本酒はもちろん、ビールも種類豊富に用意されています。

また、ここの記念館はちょっと特殊。
黄桜といえばカッパ。そのカッパについての詳しい展示説明があります。カッパの紹介だけに一室割くほどの力の入れようです。


伏見桃山の基本情報
住所:京都市伏見区大手筋通(大手筋商店街)
アクセス:
(京阪)伏見桃山駅・(近鉄)桃山御陵前駅から徒歩すぐ
(JR)桃山駅から徒歩10分
ホームページ:御香宮神社 月桂冠大倉記念館 キザクラカッパカントリー