伏見桃山陵|この丘は伏見城の跡、街を見下ろす明治天皇(京都名所巡り)

京都の伏見桃山は、その昔、豊臣秀吉が伏見城を築いた場所。

近代になって、その伏見城の跡に造営されたのが伏見桃山陵です。

ここは、幕末動乱から明治維新・近代国家成立という激しい変化の時代を過ごした、明治天皇の陵(お墓)です。

伏見桃山陵

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伏見城跡にある明治天皇の陵墓

幕末の京に生まれた明治天皇。
東京(江戸)に遷都するまでの幼少時を京都御所で過ごしました。

その後は東京で暮らした明治天皇ですが、1912年(明治45年)に崩御すると、自らの遺言により、生まれ故郷の京都に埋葬されました。

その場所は、京都の南部・伏見桃山

その中心部の東、街を見下ろせる小高い丘(桃山丘陵)の上に陵墓が作られました。

これが伏見桃山陵(明治天皇陵)。「桃山御陵」とも呼ばれます。

なお、この桃山丘陵は、その昔、伏見城の本丸があったとされている場所です。

陵墓周辺には、昔の伏見城で使われていた石などが所々に残されています。

伏見桃山陵参道脇・伏見城の石

伏見桃山陵参拝のポイント

造営後、100年以上を経た現在の伏見桃山陵は、周りを自然豊かな森林に囲まれています。

生まれ故郷に戻られた明治天皇。
木々に囲まれた閑静な丘の上で、今も安らかに眠っています。

伏見桃山陵・参道入口

200段を超える長い石段

伏見桃山陵へ向かう参道は、南、西、東の三方向にあります。

ただ、小高い丘の上に立つこの御陵、いずれの方向からの参拝であっても坂や石段を登らなければいけません。

正面は南側。長い石段が御陵に向かって一直線にのびています。

伏見桃山陵・正面石段

ここの石段は200段以上、下から眺める景色はなかなか壮観です。

上まで登り切るのは結構きついですが、足腰に自信がある方は、ぜひ、この南正面から参拝ください。

ただ、この長い石段を一気に登ろうとすると、すぐに疲れがたまってバテてしまいます。

途中で休みながらご自分のペースで登りましょう。

伏見桃山陵・正面石段途中

なお、「こんな石段を登るのはちょっと。。。」と感じられる方は、無理せず、西または東から参拝しましょう。

西も東も坂道が続きますが、その傾斜はかなり緩やか。
南の石段を登るのと比べれば、はるかに楽です。

街を見下ろせる丘の上

明治天皇が眠る御陵があるのは、丘のてっぺん。

200段以上の石段を登り切った先は、大きく開けた見晴らしのよい場所です。
振り向けば伏見桃山の街を一望できます。

伏見桃山陵からの眺望

陵墓の形は下が方形で上が円形。「上円下方墳」と呼ばれます。

全国的には珍しい部類に入りますが、近くの京都山科に、同じように上円下方の形をした天智天皇陵があります。

伏見桃山陵は、この天智天皇陵をモデルにして作られたとも言われています。

また、下層の方形部分は一辺60m。
全国にある天皇陵の中では中規模というところでしょうか。

伏見桃山陵拝所

歴代天皇陵など宮内庁が管理する陵墓では、その正面に拝所が設けられているのが普通です。

また、日本全国に数多くの陵墓がありますが、その中でも、一握りの限られた陵墓には、特別立派な拝所が作られています。

初代天皇である神武天皇の陵がその代表例ですが、この明治天皇の陵もその1つ。

伏見桃山陵・拝所斜視

伏見桃山陵の拝所は、一面に白砂が敷き詰められた広大な空間。

その面積は、普通の陵墓の拝所の5倍ほどはあるでしょうか。

そこに、3つの大きな鳥居が、奥の陵墓に向けて前後に並べて立っています。

また、拝所の一角には、参拝者が手や口を清めるための手水も設置されていますよ。

伏見桃山陵・拝所の手水

伏見桃山陵の周辺散策

木々に囲まれ清らかな空気が心地よい、伏見桃山陵の周辺。

お時間ありましたら、次のスポットなど訪れながら、ハイキング感覚で御陵の周りを散策してみましょう。

伏見桃山東陵(昭憲皇太后陵)

伏見桃山東陵は、その名の通り、伏見桃山陵のすぐ東にあります。

明治天皇の后、昭憲皇太后のお墓です。

こちらも丘の上にありますが、伏見桃山陵よりはやや低い位置に作られています。

ただ、一見しただけでは、どちらなのかわからないぐらい、2つの陵墓はよく似ています。

陵墓の形は、伏見桃山陵と同じく「上円下方」。
大きさや拝所の立派さなども、伏見桃山陵にひけをとりません。

伏見桃山東陵(昭憲皇太后陵)

柏原陵(桓武天皇陵)

伏見桃山陵の北、伏見桃山城のすぐ近くにある柏原陵。

宮内庁により、桓武天皇の陵に治定されています。

明治天皇が平安京最後の天皇であるのに対して、この桓武天皇は、平安遷都を行った、平安京最初の天皇です。

柏原陵(桓武天皇陵)

大光明寺陵(光明天皇・崇光天皇陵)

伏見桃山陵から南西にある大光明寺陵は、住宅地の中に囲まれた陵墓です。

宮内庁により、南北朝時代の北朝二代・光明天皇、北朝三代・崇光天皇の陵に治定されています。

大光明寺陵(光明天皇・崇光天皇陵)

乃木神社

伏見桃山陵の南西に鎮座する乃木神社。
明治時代の陸軍大将、乃木希典(のぎまれすけ)とその妻・静子を祀ります。

乃木希典は、日露戦争で第三軍司令官となり、旅順攻防戦の指揮をとった人物です。

また、明治天皇を敬うこと篤かった乃木将軍。
天皇の崩御後、その後を追うように、妻とともに自刃しました。

乃木神社の本殿は、明治天皇の伏見桃山陵を拝むように北を向いて建てられています。
(詳細は、「乃木神社」のページをご覧ください)

乃木神社

伏見桃山城運動公園(伏見桃山城天守)

伏見桃山城運動公園は、伏見桃山陵の北西、桓武天皇陵の近くにある市民公園です。

ここは、2003年に閉園した遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」の跡地。

現在の公園には、遊園地の目玉施設であった伏見桃山城天守が今も残されています。

歴史的資料には基づいていない、いわゆる模擬天守。
とはいえ、五層の大天守に三層の小天守を備えた、立派なお城です。

伏見桃山城(模擬天守)

伏見桃山陵の基本情報

住所:京都市伏見区桃山町古城山

電話番号:075-601-1863(宮内庁書陵部桃山陵墓監区事務所)

アクセス:
(京阪宇治線)桃山南口駅から徒歩10分
(JR)桃山駅から徒歩13分
(近鉄)桃山御陵前駅・(京阪本線)伏見桃山駅から徒歩18分

駐車場:無(近隣の伏見桃山城運動公園の駐車場などを利用)

ホームページ:明治天皇 伏見桃山陵(宮内庁ホームページ)

伏見桃山陵地図

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