今回ご紹介する南宗寺(なんしゅうじ)は、大阪・堺を代表する名刹。
ここは、戦国時代、畿内に勢力を張った三好氏の菩提寺。
また、堺出身の茶人、千利休(せんのりきゅう)とのゆかりの深いお寺としても知られます。
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三好氏創建、千利休ゆかりのお寺
南宗寺の創建は、戦国時代真っ只中の1557年。
なお、織田信長が桶狭間で今川義元を破ったのが1560年。
つまり、信長が頭角を現すよりも少し前の時代です。
この頃、京を中心に畿内を支配していたのは、阿波(徳島県)を地盤とする三好氏。
室町幕府の管領・細川家の被官として力を蓄えるうちに、主家をしのぐ大大名に成長しました。
南宗寺は、この三好家全盛時の当主、三好長慶(ながよし)により創建された臨済宗の禅寺です。
その後は三好氏の菩提寺とされ、今でも、長慶をはじめ、三好一族のお墓が残ります。
また、この南宗寺は、堺の豪商・茶人が禅の修行をしたお寺として知られます。
例えば、武野紹鴎(たけのじょうおう)、そして、その弟子である千利休。
特に、千利休は、織田信長・豊臣秀吉の保護の下でわび茶を極め、「茶聖」とも呼ばれた高名な人物。
南宗寺境内には、千利休遺愛・椿の井戸や、千家一族の供養塔など残されています。
南宗寺の境内見どころ
戦国時代建立の南宗寺、しかし、創建当初の伽藍は、大坂の陣の兵火で失われました。
江戸時代前半に、当時の住職で、高名な沢庵(たくあん)和尚により再興。
太平洋戦争末期の空襲被害もありましたが、焼失を免れた江戸期の建物が残ります。
現在の南宗寺は、臨済宗大徳寺派のお寺。
境内には自由に入ることができますが、境内奥の一部は有料拝観エリアとなっています。
山門(甘露門)
南宗寺の広い境内、季節の花や草木に囲まれて立つ、三間一戸の大きな門。
これが南宗寺山門、「甘露門」とも呼ばれています。
二階建ての門ではありますが、禅寺三門によくある二重門ではなく、1階に屋根のない、いわゆる楼門です。
江戸時代前半、1647年(正保四年)の建立。
国の重要文化財に指定されています。
唐門
山門から先に進むと、右手に小ぶりの唐門があります。
正面妻側に唐破風がついた、いわゆる向唐門。
簡素な造りではありますが、これも、江戸時代前半建立の貴重な建造物。
国重要文化財に指定されています。
この唐門の上部には、なぜか、徳川家の葵の紋があります。
実は、南宗寺は、徳川家とのゆかりも深いお寺。
昔から、この地には「大坂の陣で徳川家康が豊臣方に討たれた」という伝説が残ります。
そして、南宗寺には、討死した家康の遺骸を埋葬したと伝わるお墓と、家康を祀る東照宮がありました。
その東照宮へ通ずる門が、この唐門なのです。
なお、東照宮は、大戦末期の空襲で失われて今はなく、かろうじて焼失を免れた唐門だけがここに残されています。
東照宮へ参拝する人々が通ったであろうこの門、徳川家の葵紋がついているのも納得ですね。
仏殿
唐門の左側にあるのが仏殿。
屋根の下に裳階(もこし)と呼ばれるひさしがついた、禅宗様の大きなお堂です。
江戸時代前半の復興時期、1652年(承応元年)の建立。
こちらも国重要文化財に指定されています。
仏殿内の拝観もできます(有料)。
堂内正面には、ご本尊の釈迦三尊像が安置されています。
また、この仏殿では「天井」も見どころ。
天井全体に描かれた大きな龍、どの位置から眺めても目が合うことから、「八方睨みの龍」と呼ばれています。
有料拝観エリア
仏殿の先には、奥の有料拝観エリアの拝観入口があります。
有料なだけあって、国名勝指定の方丈庭園や、三好一族の墓所、千家の供養塔、徳川家康の伝説の墓など、見どころたくさん。
仏殿内の拝観もこちらからできます。
ただし、現在、有料拝観エリアでの写真撮影は禁止されています。ご注意ください。
南宗寺の基本情報
住所:大阪府堺市堺区南旅篭町東3丁1−2
電話番号:072-232-1654
拝観時間:午前9時~午後4時
拝観料:大人400円 中人300円 小人200円
アクセス:(阪堺線)御陵前駅から徒歩5分
駐車場:有(30台・無料)