千本釈迦堂|京の兵乱を免れ続けた洛中最古の仏堂(京都名所巡り)

京都・千本今出川、北野天満宮からほど近いところに、千本釈迦堂というお寺があります。

千本釈迦堂という名前は通称で、正式名称は大報恩寺。
智積院を本山とする真言宗智山派のお寺です。

千本釈迦堂(大報恩寺)

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本堂は洛中最古の仏堂

千本釈迦堂(大報恩寺)の創建は、鎌倉時代初期の1221年(承久3年)。
平安時代創建のお寺も数残る京都の中では、創建は新しい方です。

境内には、オーソドックスな和様の本堂が残ります。
この本堂は、寺院創建から間もない1227年の建築。国宝指定。

建てられてから約800年を経たこの本堂は、洛中最古の仏堂とされています。

大報恩寺本堂

しかし、京都にはここよりも創建の古いお寺があるはず。
なぜこの本堂が一番古い仏堂なのでしょう。

それは、他のお寺が京の兵乱で失われる中、この本堂は焼失を免れ続けてきたから。

特に、室町時代の大兵乱、応仁の乱では、京の大部分が焼け野原になりました。
しかし、このお堂は、西軍の本陣近くにありながらも、奇跡的に焼失を免れました。

この本堂は、内部の拝観もできます(拝観有料)。

堂内の内陣には、ご本尊の釈迦如来像が安置されています。
ただし、このお釈迦さまは秘仏。普段は須弥壇の厨子の中に納められています。

本堂縁側

その他の境内見どころ

千本釈迦堂には、国宝の本堂以外にも見どころいろいろ。
境内をめぐり、次のスポットにも足をのばしてみましょう。

千本釈迦堂境内

霊宝殿

千本釈迦堂の寺宝を収蔵する宝物庫。本堂との共通拝観県で入館できます。

霊宝殿の寺宝には仏像が多いのですが、特に注目は、六観音像と十大弟子像です。

観音菩薩が変化した姿、六観音。
如意輪観音、准胝(じゅんでい)観音、十一面観音、馬頭観音、千手観音、聖観音。
六体揃っているのは大変珍しいです。全て国重要文化財指定。

十大弟子は、お釈迦さまに付き従った十人の高弟。
こちらの像はそれぞれ人間感あふれ、仕草や表情も個性的です。
十体完存、全て国重要文化財指定。

千本釈迦堂・霊宝殿

おかめ塚とおかめ像

千本釈迦堂の本堂については、次のような話が残されています。

本堂の建築を任された一人の棟梁。
途中で大きな失敗を犯したものの、その妻・おかめの助言でリカバリーに成功。

しかし、それが妻のアドバイスのおかげとなれば夫の恥になる、と考えたおかめは、上棟式の前に自害してしまいます。

この逸話から、おかめ伝説発祥の地とも言われる千本釈迦堂。
境内には、おかめの冥福を祈って建てられた宝篋印塔(おかめ塚)と、おかめ像があります。

ぽっちゃりした下ぶくれのお顔で穏やかに微笑む、おかめさん。
縁結びや夫婦円満を願って訪れる人も多い、千本釈迦堂の人気スポットです。

千本釈迦堂・おかめ像

山名氏とのゆかりの深いお堂

本堂の手前には2つのお堂があります。
いずれも、室町時代の四職、名門・山名氏とのゆかりの深い建物です。

1つは北野経王堂。
室町時代の明徳の乱で敗れた、山名氏清とその一族を供養するために建てられました。

元の建物は、現在の三十三間堂よりも大きなお堂だったそう。
いったん解体し、千本釈迦堂の境内に移して縮小復元したのが、今の北野経王堂です。

もう1つは不動明王堂。
山名氏清や、応仁の乱の西軍総帥・山名宗全が念持仏とした、不動明王像が祀られています。

千本釈迦堂境内・北野経王堂

千本釈迦堂(大報恩寺)の基本情報

住所:京都市上京区溝前町 七本松通今出川上ル

電話番号:075-461-5973

アクセス:JR京都駅、地下鉄今出川駅、阪急大宮駅、京阪出町柳駅からバス乗車、上七見バス停下車、徒歩数分

ホームページ:千本釈迦堂 大報恩寺

千本釈迦堂(大報恩寺)地図

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