観心寺|大楠公ゆかりのお寺に国宝の金堂と建てかけの塔(大阪名所巡り)

観心寺 寺院(大阪)

大阪府の南東部、河内長野の観心寺(かんしんじ)をご紹介。

観心寺は、金堂や本尊の仏像など、貴重な文化財を数多く残す、奥河内の名刹。

「大楠公」楠木正成や南朝とのゆかりも深いお寺です。

スポンサーリンク

楠木正成ゆかりのお寺

観心寺は、平安時代に修験者・役小角が開いたとされる古いお寺。

鎌倉時代末期~南北朝時代に後醍醐天皇の下で活躍した、河内の武将・楠木正成とのゆかりの深いお寺でもあります。

また、南朝二代、後村上天皇の行宮がここに置かれたこともありました。

現在の観心寺は高野山金剛峯寺を総本山とする、高野山真言宗のお寺。宗派内で「遺跡本山」という高い寺格を有する名刹です。

観心寺・大楠公像
スポンサーリンク

観心寺の見どころ

観心寺には、南北朝時代の金堂や平安時代の本尊仏など、貴重な文化財が残ります。

また、広い境内には、楠木正成や南朝ゆかりの史跡なども点在しています。

観心寺

金堂

金堂は、境内中央に立つ、どっしりと安定感のある朱色のお堂。南北朝時代初期の建築で、国宝に指定されています。

全体的な形としては、オーソドックスな和様建築。

ただし、桟唐戸(さんからど)の扉を用いるなど、随所に鎌倉以降の新様式・禅宗様も取り入れられています。

和様に禅宗様をミックスした、折衷様と呼ばれる様式の代表例です。

観心寺金堂

金堂内に安置されているのは、観心寺の本尊、如意輪観音像。

平安時代初期の仏教彫刻の傑作で、国宝指定。ただし、この本尊は秘仏。ご開帳日は、毎年4/17,18の二日間だけです。

建掛塔

金堂の近くには、茅葺き屋根の仏堂があります。建掛塔(たてかけとう)と呼ばれています。

「塔」という名前ですが、屋根が一層で古民家のような外観。とても塔には見えません。

楠木正成により建築が始められた建物で、元々の計画は三重塔。しかし、その後、楠木正成が戦いに敗れて亡くなったため建築は中断。

一層まで建てたところで放置されたため、「建掛塔」と呼ばれるようになりました。

建掛塔は、国の重要文化財に指定されています。

建掛塔

霊宝館(宝物庫)

境内の霊宝館は、観心寺が保有する文化財を収蔵する宝物庫です。

館内は一般に公開されています。建掛塔などに安置されていた仏像がずらりと並びます。

観心寺霊宝館

楠木正成・南朝ゆかりの史跡

観心寺は、後醍醐天皇に忠誠を尽くした「大楠公」楠木正成や、後醍醐系の南朝とのゆかりの深いお寺です。

先の建掛塔の他にも、楠木正成や南朝との関係の深い史跡が残ります。本堂へのお参りを終えたら、境内をぐるりと巡ってみましょう。

楠木正成首塚

後醍醐天皇に従って活躍した楠木正成、しかし、湊川(現・兵庫県神戸市)での足利尊氏との戦いに敗れて自害します。

その楠木正成の墓所(首塚)が、観心寺の境内に残ります。

神戸から離れたこの地に首塚があるのは、戦いの後、足利尊氏から河内の楠木一族の元に首が返されたためです。

楠木正成首塚

中院

観心寺は、楠木正成が幼少の頃に、お寺の僧侶に学問を学んだ場所と伝わります。

その勉学の場であった中院が、今の観心寺境内に残ります。

観心寺中院

後村上天皇陵

後醍醐天皇の皇子で、南朝第二代の後村上天皇の陵。

北朝が抑える京の回復を目指して、大和・河内を中心に精力的に活動された天皇です。

吉野の他、奥河内の観心寺や金剛寺に南朝の行宮が一時的に置かれました。

後村上天皇陵

スポンサーリンク

観心寺の基本情報

住所:大阪府河内長野市寺元475

拝観時間:9:00~17:00(最終受付16:30)

拝観料:大人300円 小中学生100円

アクセス:(南海・近鉄)河内長野駅から南海バスで約12分、観心寺バス停下車徒歩5分

駐車場:有

ホームページ:観心寺

観心寺地図