京の都で華々しく活躍した平安貴族、菅原道真。
しかし、政争に敗れて太宰府へ左遷、失意の中で没した悲運のお人でもあります。
京の周辺、そして、太宰府への道中にあたる関西には、この道真を祀る神社(天満宮・天神社)が各地に存在します。
大阪なら大阪天満宮が有名ですね。
しかし、実は、すぐ南の堺にも、天神社があるのをご存じでしょうか。
それが、今回ご紹介する菅原神社。
堺の旧市街、路面電車が走る大道筋の東に鎮座する古社です。
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学業成就の堺天神
菅原神社の創建は、菅原道真が太宰府で没してから約100年後の、997年。
堺の浜に漂着した、道真作とされる木像を祀ったのがはじまりとされています。
それ以降、この地の氏神として崇敬された「堺の天神さん」。
もちろん学問の神さまとしても知られ、学業成就を願う受験生も多く訪れます。
菅原神社の境内見どころ
では、現在の菅原神社の境内見どころをご紹介します。
堺の旧市街は、先の大戦末期の空襲で大きな被害を受けました。
この菅原神社も例外ではなく、本殿など多くの社殿を失いました。
ただ、楼門など一部の建物は、かろうじて焼失を免れています。
また、明治以降には、近隣町の神社がここに合祀。
その一部が境内摂社として今も残ります。
楼門(随身門)
境内の西側、石鳥居のすぐ後ろに立つ楼門。
鮮やかな朱色、そして、三間一戸の大きな門です。
堺の鉄砲鍛冶による寄進、江戸時代前半の1677年建立と伝わります。
空襲での焼失を免れた建物の1つです。
門の入口左右には、剣と弓矢を携えた一対の随身像が控えます。
「随身門」とも呼ばれています。
拝殿・本殿
境内の真ん中には、拝殿と本殿があります。
手前に見えるのが拝殿。
本殿は、拝殿の陰に隠れるかのように、後ろにひっそりとたたずんでいます。
本殿に祀られる神さまは、全部で三柱。
主祭神の菅原道真に、天照大神の子神・天穂日命(あめのほひのみこと)、そして、菅原氏の祖先とされる野見宿禰(のみのすくね)です。
なお、昔の拝殿と本殿は空襲で焼失しており、現在のものは戦後の再建です。
ただし、拝殿については、楼門とともに空襲被害を免れた、旧金毘羅宮の社殿を移築利用しています。
堺戎神社
境内隅にある堺戎神社は、菅原神社の境内摂社の1つ。
商工業の神・商売繁盛で知られる、えびす(事代主神)を祀ります。
この堺戎神社は、明治時代、近隣二町にあった戎神社を合祀してできました。
「堺えびす」、「堺のえべっさん」として、堺の人々に親しまれる存在です。
薬祖神社
菅原神社では、もう1つ、薬祖神社(やくそじんじゃ)も有名です。
こちらも近隣町から移転・合祀されてできた境内摂社です。
ともに医薬の神さまとして知られる、少彦名命(すくなびこなのみこと)と神農大神(しんのうおおかみ)を祀ります。
全国でも珍しい、「癌(がん)封じの神さま」としても知られています。
菅原神社の基本情報
住所:大阪府堺市堺区戎之町東2丁1−38
電話番号:072-232-2450
アクセス:
(阪堺線)大小路駅から徒歩3分
(南海本線)堺駅から徒歩10分 (南海高野線)堺東駅から徒歩12分
駐車場:有(数台分)
ホームページ:菅原神社
備考:境内参拝自由