総持寺|茨木の西国二十二番、目印は大きな仁王門(大阪名所巡り)

今回ご紹介するのは、大阪府茨木にある総持寺(そうじじ)。

西国三十三所観音霊場の札所でもあるこのお寺は、茨木を代表する名所の1つ。

目印は、お寺の正面に立つ大きな仁王門です。

総持寺

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亀の伝説が残る、北摂の名刹

総持寺は、平安時代前期、中納言・藤原山蔭(やまかげ)により創建されました

本尊は千手観音で、現在は高野山真言宗のお寺です。

また、西国三十三所観音霊場の第二十二番札所としても知られます。
巡礼で参拝に訪れる方も多い、北摂の名刹です

総持寺・境内入口

総持寺の観音さまには、次のような「亀の伝説」が残ります。

ある日、大亀が漁師に捕らえられているところに出くわした、藤原山蔭の父。

その日は18日で、ちょうど観音さまの縁日。
山蔭の父は漁師にお願いし、亀を河に逃がしてあげました。

しかしその夜、息子の山蔭が河に落ちてしまうというハプニング発生。

父が嘆き悲しんでいると、観音さまの導きか、先の大亀が、元気な山蔭を甲羅にのせて登場。
命を救われた恩を、亀は律儀に返してくれました。

喜んだ山蔭の父は、観音さまの造像を発願します。
父は途中で亡くなりますが、その後を山蔭が継ぎ、像を完成させて総持寺を開きました。

亀とのゆかりが深い総持寺。
ご本尊の千手観音は、亀の背に乗った珍しいお姿をしています。

総持寺・境内の亀

総持寺の境内見どころ

周りを住宅地に囲まれた、現代の総持寺。
その境内は、意外にも閑静な空間です。

境内には、江戸時代からほぼそのままの形で残る伽藍。
大阪府下屈指の規模を誇ります。

では、総持寺境内の主な建物をいくつかご紹介していきましょう。

総持寺境内風景

仁王門

正面階段上に立つ大きな仁王門は、総持寺のシンボル。

一層屋根の二階建て門で、二階には高欄(手すり)。
「楼門」と呼ばれる格式の高い門です。

左右には、阿吽(あうん)一対の仁王像。
いかつい顔ながらも、両側から温かく参拝客を出迎えてくれます。

総持寺仁王門

本堂

仁王門をくぐった先の正面、境内の真ん中に立つ本堂。

江戸時代中頃の1699年の再建。
入母屋造・本瓦葺き、オーソドックスな仏堂です。

総持寺本堂正面

本堂の内陣には、総持寺本尊の千手観音像が安置されています。

この観音さまは秘仏。普段はお顔を拝むことはできません。

ただし、2016年~2020年は、西国三十三所草創1300年記念事業の一環として、本尊の特別拝観が行われます。

(詳細は、「西国三十三所草創1300年・特別拝観」をご覧ください)

総持寺本堂斜視

鐘楼

本堂の前には、方一間、周囲四方吹き放しの小さな鐘楼があります。
こちらは、江戸時代中期・18世紀の建物です。

その昔、この鐘楼には、桃山時代の武将、片桐且元の陣鐘と伝わる梵鐘がありました。

いまは新しい鐘に取り替えられていますが、古い鐘は納経所で展示されています。

総持寺鐘楼

金堂

本堂の西側に立つ金堂は、江戸時代前半、1649年の建築物。

寄棟造の仏堂で、桁行(正面)4間、梁間(奥行)3間。
金堂という名ではありますが、隣の本堂と比べるとかなり小ぶりの建物です。

堂内には薬師如来が安置されていることから、薬師堂、あるいは、薬師金堂とも呼ばれます。

総持寺金堂(薬師堂)

太師堂(護摩堂)

真言宗の宗祖、弘法大師空海の像(御影)を祀る仏堂。

江戸時代の伽藍が残る境内の中、この建物は戦後昭和期の再建。
ただし、本尊の弘法大師御影は、江戸時代前半の1647年に造立されたものです。

また、ここには、平成30年の地震で被災・解体された不動堂の本尊、不動明王も安置されています。

旧・不動堂の役目も果たしている現在の太師堂、「護摩堂」とも呼ばれています。

総持寺太師堂(護摩堂)

包丁塚

ご本尊の像立にあたり千日間料理を供えたと伝わる、総持寺開基・藤原山蔭は、包丁道(四条式庖丁式)の祖とも言われます。

その縁から、総持寺では、毎年4月18日に、山蔭流庖丁式が行われています。

境内には、古い庖丁を奉納する庖丁塚も設けられています。

総持寺・包丁塚

総持寺の基本情報

住所:大阪府茨木市総持寺1-6-1

電話番号:072-622-3209

拝観時間:午前6時~午後5時(納経・御朱印受付は、午前8時~午後5時)

拝観料:無料

アクセス:(JR)総持寺駅から徒歩5分 (阪急)総持寺駅から徒歩5分

駐車場:有(約20台)

ホームページ:総持寺

総持寺地図

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