本能寺|日頃愛用の京の定宿で最後を遂げた織田信長(京都名所巡り)

京都の有名寺院の1つ、本能寺は、法華宗本門流の大本山。
寺町御池の京都市役所と、御池通をはさんでちょうと南向かいの位置にあります。

また、本能寺といえば頭に思い浮かぶのは「本能寺の変」。
織田信長とのゆかりの深い、京都の歴史名所の1つです。

本能寺

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織田信長と本能寺の変

織田信長が、天下統一を目前にして明智光秀に討たれた、歴史上の一大事件・本能寺の変。

もともと、本能寺は、織田信長が京の定宿として愛用したお寺の1つでした。

1582年、中国の毛利氏を攻めていた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)を支援するために上洛。
このときも、道中の京で泊まったのはやはり本能寺でした。

しかし、その本能寺を、信長配下の明智光秀が謀反を起こして襲撃。
明智軍相手に奮戦するも多勢に無勢。信長はここで最後を遂げました。

なお、「本能寺の変」当時の本能寺の場所は、現在とは異なります。

信長最後の地となった昔の本能寺は、ここから南西に600mほど離れた、四条堀川の近くにありました。
本能寺の変で伽藍の多くを失った後、今の場所に移転して再建されています。

本能寺跡

本能寺の見どころ

本能寺の変の後に再建された後も、江戸時代の火災などで、このお寺はたびたび焼失の憂き目に遭っています。
本堂をはじめ、現在残る建物の多くは昭和の再建です。

本堂

表門をくぐった先、正面に立つ大きなお堂が本堂。
総ケヤキ造り、どっしりとした安定感ある建物です。
1928年(昭和3年)の再建。

本堂内は拝観自由。
お堂の中には、法華宗の宗祖、日蓮聖人の像が祀られています。

本能寺本堂

信長公廟

本堂の裏には、本能寺とのゆかりの深い人物の墓所や供養塔が並びます。

その中でも、一番目立っているのは信長公廟。織田信長のお墓です。
信長の三男、織田信孝の命によって建てられました。

なお、本能寺の変では、戦場になった本能寺は焼け落ち、信長の遺骨も見つかりませんでした。
そのため、この信長公廟には、遺骨の代わりに、信長愛用の太刀が納められています。

本能寺・信長公廟

信長公廟の横には、本能寺の変で亡くなった信長の配下たちの合祀墓も建てられています。

その戦没者の一覧の中には有名な人物も。
例えば、信長に最も愛された近習の一人、森蘭丸の名が記されています。

本能寺の変戦没者合祀墓

日承上人の墓

境内の一番奥に立つ五輪塔。これは、日承上人のお墓です。
日承上人は、信長存命時の本能寺住職。信長とも親しい関係を築いた僧でした。

なお、境内にある他のお墓や供養塔とは違い、このお墓だけ柵で囲われており雰囲気も異なります。

それは、日承上人が皇族の出身であるため。
現在も、このお墓だけは宮内庁に管理されています。

本能寺・日承上人墓

大寶殿

古くからお寺に伝わる宝物を収蔵する、本能寺の宝物庫。
常時一般公開されています(拝観有料)。

さすがに信長ゆかりの本能寺、信長の肖像画や信長愛用の茶道具など、信長関連の逸品が数多く収蔵されています。

他に、大寶殿での注目の宝物は、蛙をかたどった香炉「三足の蛙」。
表情がなんとも愛らしいカエルさんです。

本能寺・大寶殿

本能寺の基本情報

住所:京都市中京区寺町通御池下る下本能寺前町522

電話番号:075-231-5335

アクセス:(地下鉄)市役所前駅すぐ、(京阪)三条駅から徒歩5分、(阪急)河原町駅から徒歩10分

ホームページ:法華宗大本山 本能寺

本能寺地図

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