天下人・豊臣秀吉が築いた巨城、大坂城。
その跡地に整備された現在の大阪城公園に、秀吉公を祀る神社があります。
それが、今回ご紹介する豊國神社(ほうこくじんじゃ)です。
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中之島から大阪城公園へ移転
長い徳川の世が終わった後の明治時代、秀吉を祭神とする神社が、日本各地で次々と建てられました。
大阪の豊國神社もその1つ。
1879年(明治12年)、京都の豊国神社(とよくにじんじゃ)の大阪別社として創建されました。
当初、豊國神社が建てられた場所は、大阪の中心部・中之島。
現在、中央公会堂や中之島図書館が立っているあたりです。
その後、京都の豊国神社から独立。
また、戦後には、中之島から、秀吉公ゆかりの地である大阪城へ移されました。
外堀に囲まれた二の丸内、本丸への入口のすぐ近く。。
本丸の中央にそびえる天守閣を、正面から眺められる場所です。
神社のシンボル・鳥居前に立つ秀吉像
この豊國神社の境内でまず目に入るもの。
それは、鳥居の前に立つ秀吉公の像。
像の高さは3.2m、その下には2mの台座。
総高5mを超える太閤さんは、豊國神社のシンボルです。
右手に軍配、左手には刀を持ち、北の天守閣を向いて立つ秀吉公。
よくある「ど派手」なイメージとはちょっと違った、威厳にあふれたお姿です。
出世開運の神さま
鳥居をくぐった先、正面に見えるのは拝殿、
その後ろに、豊臣秀吉公を祀る本殿があります。
裸一貫で織田信長に仕え、苦労しながらも出世を続け、最後には天下人。
その秀吉公を祀る豊國神社は、「出世開運の神さま」として知られています。
なお、本殿には、秀吉の他、豊臣一族の豊臣秀長と豊臣秀頼も祀られています。
豊臣秀長は秀吉の弟で、右腕として活躍した人物。
大和の郡山城を居城として三国を治め、「大和大納言」とも呼ばれました。
豊臣秀頼は秀吉の息子。「悲運」の豊臣家二代目です。
秀吉亡き後に豊臣家当主の地位と大坂城を継ぐものの、大坂の陣で徳川家康に攻められ自害しました。
豊國神社の基本情報
住所:大阪市中央区大阪城2−1
電話番号:06-6941-0229
アクセス:
(大阪メトロ)谷町四丁目駅から徒歩10分 森ノ宮駅から徒歩15分
(京阪)天満橋駅から徒歩10分
(JR)森ノ宮駅から徒歩15分 大阪城公園駅から徒歩20分
備考:境内自由
ホームページ:大阪城豊國神社