現在の兵庫県南西部、昔の播磨国の西端に位置する、赤穂(あこう)。
今回は、この赤穂のシンボル・赤穂城をご紹介します。
ここは、江戸時代の赤穂藩の居城。
浅野内匠頭や大石内蔵助も暮らした、赤穂義士ゆかりのお城です。
現在の赤穂城は、国の史跡に指定されています。
また、日本100名城の1つにも選ばれています。
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赤穂浅野家による築城
赤穂城は、江戸時代前半の1661年、常陸笠間藩主・浅野長直の入封に伴って築かれました。
一国一城制や武家諸法度により、諸大名は、お城の修復すら幕府に厳しく規制されたこの時代。
その中で、この赤穂城は、明石城などともに、江戸時代に築城された数少ないお城の1つです。
幕府に築城を認められた理由はいろいろ考えられますが、その1つは、赤穂浅野家の石高(5万3千石)に見合ったお城がこの地になかったこと。
「城もないところに幕命で仕方なく移るんだから、築城ぐらい認めてくれ」なんていう交渉があったのかもしれませんね。
甲州軍学に基づいた城の縄張り
さて、赤穂城の縄張り(城の設計)は、江戸時代の甲州軍学兵法者で、赤穂浅野家家臣、近藤正純によって行われました。
城に侵入した敵の視界を妨げる、城内のくねくね道。
また、側面の石垣や土塀は、凸凹(でこぼこ)で飛び出したり引っ込んだり。
見通しの悪い城内で右往左往する敵に、あちこちの壁の出っ張りから、強烈な横矢を浴びせることができます。
甲州軍学満載の赤穂城、当時は兵学者のお手本にもなったことでしょう。
赤穂義士ゆかりのお城
また、赤穂城は、吉良邸討ち入りの赤穂義士(浪士)ゆかりのお城としても知られます。
藩祖長直の孫で三代目、浅野内匠頭長矩の頃には、後の赤穂四十七士のリーダー、大石内蔵助も家老として在城していました。
しかし、藩主の浅野内匠頭は、何を思ったか、江戸城殿中にて吉良上野介に切りつけるという刀傷沙汰を起こしてしまいます。
その咎で、長矩は即日切腹、また、赤穂浅野家は改易。
江戸からの急報を受け、大石内蔵助をはじめ、残された家臣たちはこの赤穂城で三日にわたり対応策を練ったそう。
また、赤穂城の三の丸には、大石内蔵助をはじめ、討ち入りに参加した義士たちの邸宅跡があります。
現在の赤穂城の見どころ
赤穂城は、南に広がる瀬戸内海に面した平城です。
本丸が二之丸でぐるりと取り囲まれた、いわゆる「輪郭式」を採用。
ただし、二之丸と三之丸の関係は、二之丸の2方向のみが囲われた「梯郭式」。
ちょっと変則的な赤穂城の城郭構造、「変形輪郭式」と呼ばれています。
なお、日本の他のお城と同様、この赤穂城も明治時代に廃城となり、当時の建物はすべて移築または取り壊されました。
ただ、石垣や土塁などの遺構が残されています。
また、戦後には、城跡全域が国の史跡に指定。
古い資料や発掘調査結果に基づいた建物復元や庭園整備が行われています。
では、赤穂城の主な見どころをご紹介していきましょう。
三之丸
赤穂城の北側部分に広がる三之丸。
この三之丸の北端に、赤穂城の表玄関・大手門があります。
お堀にかかる橋の向こうに立つ、高麗門形式の大手門。
右横に立つ二層の隅櫓とともに、1955年(昭和30年)に復元されました。
大手門をくぐった先は、右に左に折れ曲がる見通しの悪い道。
また、両側には高い石垣。その上は、城内に入り込んだ敵を狙うのに格好の場所です。
なお、途中には番所風の休憩所があります。
ここは赤穂城のガイダンス施設を兼ねており、お城についての詳しい説明があります。
入り組んだ道を抜けた先には、昔の赤穂藩家臣の邸宅がありました。
現在、建物としては、大石良雄(内蔵助)邸宅跡長屋門と、近藤源八邸宅跡長屋門が残ります。
赤穂事件の際には、江戸の悲報を伝える早駕籠がこの大石邸の長屋門を叩いたと言われています。
大石邸の長屋門は国の史跡にも指定されています。
長屋門の背後、昔の大石内蔵助邸があった場所には、赤穂大石神社があります。
明治から大正にかけて創建された神社で、大石内蔵助をはじめとする赤穂義士を祀ります。
境内には、大石内蔵助邸の庭園や、義士遺品を展示する義士宝物殿、義士木像を安置する義士木像奉安殿などがあります。
(詳細は、「赤穂大石神社」のページをご覧ください)
大石神社から東へ行くと、大きな公園があります。
ここも、赤穂浅野家の家臣・坂田式右衛門の邸宅跡。
現在は整備されて武家屋敷公園と呼ばれています。
四阿(あずまや)などもあり、城内散策で疲れたときの休憩にちょうどよい場所です。
武家屋敷公園からさらに東には、お城の堀に沿って昔の蔵風の建物が立っています。
これは赤穂市立歴史博物館です。
赤穂の塩と歴史をテーマとする博物館。
赤穂城や赤穂事件・義士についての詳しい展示説明もあります。
二之丸
大石神社から南へ向かうと、二之丸の石垣や土塀が見えてきます。
この二之丸の一番の見どころは、西側に広がる二之丸庭園です。
芝生が広がる中に、池や小川など水場も設置された、広い大名庭園。
国の名勝に指定されています。
なお、二之丸庭園は現在整備中ですが、整備完了した部分は一般にも公開されています。
一方、二之丸の南側部分には、元禄花見広場と呼ばれる公園があります。
大きな池を中心に広い園内は、春の桜の名所としても知られます。
また、海に面していた昔の赤穂城。
元禄花見広場の南、二之丸南端に残る水手門跡には、船を横付けするための雁木や、波よけの突堤が復元されています。
本丸
お城の中心部、本丸。
この本丸への入口はいくつかありますが、表口は北側にあります。
この本丸北口には、本丸門と枡形虎口が復元されています。
本丸門は、高麗門と櫓門の2つの門で構成されています。
最初の高麗門をくぐると、そこは、枡形と呼ばれる、高い石垣に囲まれた四角形の空間。
その先に立つ、堅固な櫓門が道を阻みます。
櫓門を突破できずに立ち往生する敵に対して、周囲から矢玉をお見舞いし、袋だたきにしてしまう算段です。
櫓門の先は、広々とした開放的な本丸。
この本丸の中央には、その昔、本丸御殿がありました。
現在は、コンクリート製の盤にて、御殿の間取りが復元されています。
本丸御殿の周りでは、発掘調査により庭園の遺構が見つかりました。
その調査結果に基づき、御殿の南や西に庭園が復元されています。
二の丸庭園と同様、この本丸庭園も国の名勝に指定されています。
本丸の南東に、大きな石組がポツンと残されていますが、これは天守台。
ただし、この上に天守が建てられることはありませんでした。
高さ9mの天守台、上に登ることができるようになっています。
天守台からは、本丸をはじめ赤穂城全体、さらには、赤穂の街や北の山々まで一望できます。
赤穂城の基本情報
住所:兵庫県赤穂市上仮屋1424−1
電話番号:0791-42-2602(赤穂市観光協会)
開城時間:(本丸・二之丸庭園)午前9時~午後4時半 (その他は入園自由)
休城日:(本丸・二之丸庭園)年末年始12/28~1/4 (その他は無休)
入城料:無料
アクセス:(JR)播州赤穂駅から徒歩20分
駐車場:有
ホームページ:国史跡赤穂城跡公式WEBサイト(赤穂市教育委員会作成)