古代王権(大和朝廷)の中心であった大和の国(現在の奈良県)。
現在でも、奈良市の平城宮跡をはじめ、昔の都城跡や宮城跡が奈良の各地に残ります。
飛鳥の北、橿原(かしはら)市の東部に広がる藤原宮跡もその1つ。
平城京の1つ前の都、藤原京の中心部(宮城)の跡です。
歴史的価値の高いこの藤原宮跡は、平城宮跡と同様、国の特別史跡に指定されています。

三代の天皇が暮らした日本最古の都城
飛鳥時代の694年、当時の持統天皇により、それまで宮殿があった飛鳥から、その北の地に都が移されました。
これが、中国(唐)の例にならって造られた、最古の本格的都城・藤原京。縦横の道で碁盤のように区切られた、「条坊制」の都です。
また、この地には、古より知られる大和三山(畝傍山・耳成山・天香具山)がありますが、その三山を頂点とする三角形のちょうど真ん中の位置に、藤原宮が作られました。
なお、似たような言葉でややこしいのですが、「藤原京」が条坊制の都全体を指すのに対して、「藤原宮」は天皇の宮殿や大極殿がある、都の中心エリア(宮城)を指します。

ここを都とした天皇は、持統・文武・元明の三代。日々、美しい三山を眺めながら、政を行ったのでしょうか。
なお、近年の調査の結果、藤原京の規模は平城京と同じか、それ以上とも言われています。
しかし、まだ全容は解明されておらず、現在も藤原宮周辺では発掘調査が継続して行われています。
藤原宮跡の見どころ
現在の藤原宮跡は、ほぼ1km四方の広さで、草原が広がる開放的な空間。
復元整備が進む平城宮跡とは違い、建物は何もありません。
ただ、草原のところどころに、朱色の列柱が置かれています。
これは、大極殿や朝堂院などの昔の建物跡を示しています。

大極殿跡
大極殿は、天皇即位の礼や外交使節を迎える国家的儀式などの行事が行われる場所。
都における最も重要な建物と言ってもいいでしょう。
大極殿が立つのは藤原宮の北側エリア。大きな行事の際には、天皇はこの大極殿に立ち、南を向いて、大勢の群臣を見渡したのでしょうか。
現在、その大極殿の跡には、列柱がずらりと並べられています。周囲一帯草原が広がる中、朱色の短柱がいいアクセントになっています。

周りには大和三山
開放感あふれる藤原宮跡、ここから周りの大和三山がよく見えます。
ここに立つと、三角形に配置された大和三山の、ちょうど真ん中にいることを実感します。
まず、西に見えるのは、標高199m、大和三山の最高峰・畝傍山(うねびやま)。


北に目を転じると、大極殿跡の背後に、二等辺三角形の形をした、美しい山が見えます。
これは、標高140mの耳成山(みみなしやま)です。

一方、東を眺めると、こんもりとした山が目に入ります。
こちらは、天香具山(あまのかぐやま)。標高は152mです。
なお、三山いずれも標高が低く傾斜もゆるい、なだらかな丘のような山です。
登山道も整備されており、ハイキング感覚で登ることができますよ。

藤原宮跡の花園
藤原宮跡といえばもう1つ、各所に作られた季節の花園も有名です。
まず、大極殿背後の醍醐池周辺には、春ゾーンの菜の花と夏ゾーンのキバナコスモス。
また、藤原宮跡の東辺近くには、蓮(ハス)ゾーン。
そして、一番のおすすめは、秋ゾーンのコスモス。
藤原宮跡の中央一帯、3万平方メートルもの広さを誇るエリアに、白・赤・ピンクの花々が一面に咲き誇ります。

藤原宮跡資料室
さて、平城宮跡と違い、復元された建物など何もないこの藤原宮跡。
広い草原地帯を眺めるだけでは、当時の都の様子を頭でイメージすることはなかなか難しいです。
そこで、藤原宮跡と一緒に訪れたいのが、大極殿跡の西にある藤原宮跡資料室(入室無料)。
橿原市が運営する施設で、藤原京に関する詳しい展示説明が行われています。
一番の見どころは、昔の都の様子が一目でわかる、1/1000スケールの精巧な藤原京模型。
これだけでも、十分訪れる価値ありです。
藤原宮跡の基本情報
住所:奈良県橿原市醍醐町
アクセス:
(近鉄)耳成駅・畝傍御陵前駅から徒歩30分
(JR)畝傍駅から徒歩30分
駐車場:有
備考:入場自由
ホームページ:
藤原宮跡(橿原市ホームページ)
橿原市藤原宮跡資料室