その白壁の美しさから、別名「白鷺城」とも呼ばれる姫路城。
姫路城のシンボルである天守は、彦根城天守などとともに、国宝指定の5つの現存天守の1つ。
また、姫路城は日本100名城にも選ばれています。
1993年には、奈良県の法隆寺とともに、日本で初めてユネスコ世界遺産に認定されました。
今や日本国内のみならず、世界的にもよく知られた名城です。
小さな砦から大城郭へ発展
現在の姫路には、室町時代の頃には砦のような小規模の城があったそうです。
その後、戦国時代の黒田官兵衛(後の如水)や織田家の羽柴秀吉らによって徐々に拡張され、姫路城の規模は大きくなっていきます。
関ヶ原の戦いの後には、池田輝政が52万石の領主として姫路に入城。
この池田家の城主時代に、西国大名への抑えとすべく姫路城の大規模改修が行われ、現在見られるような大城郭へと変貌しました。

城郭全体が丸ごと残る姫路城
姫路城といえば、誰もが思い浮かべるのが、美しい白亜の天守。しかし、このお城の見どころは天守だけではありません。
姫路城の素晴らしさは、天守の周りに、櫓、門、土塀、石垣など、昔の城郭の構造物が丸ごと残っているところです。
天守がポツンと残っているだけだと、昔の城郭全体を想像することはなかなか難しいです。
今日、この姫路城の城郭が残っているおかげで、多くの人が、昔のお城はこんな感じ、というイメージを持つことができるわけですね。

姫路城天守へいざ登城
昔の防御構造がそのまま残っている姫路城。
天守の周りを土塀や石垣が囲み、入り組んだ道の途中には行く手を阻む門、さらに要所には櫓が立っています。
簡単にはたどり着けなかったであろう昔を想像しながら、いざ天守へ向けて登城です。
菱の門
入城口を通った先、目の前を立ち塞がるように立つ大きな門。これが菱の門です。
柱上の横材(冠木)に刻まれた、左右2つの「菱の紋」が、門の名前の由来です。
門の上に櫓がのせられた、いわゆる櫓門形式の堅固な城門。
ただし、門の左側部分が石垣に載せられています。やや変則的な形の櫓門です。

天守への道
菱の門から先は、両横を土塀や石垣に挟まれた狭い道がぐねぐね曲がりながらのびています。
道中の要所には、行く手を阻む門。
天守に向かって攻め上る、兵の気持ちになりきって歩いてみましょう。
曲がりくねった道の途中、門を突破するのに手間取っていると、周囲の塀や櫓から矢や鉄砲を射かけられてしまいます。

天守
曲がりくねった道を上り、門をいくつかくぐった先に、ようやく天守に到着します。
城壁全体が漆喰(しっくい)で塗られた、美しい白亜の天守です。江戸時代初め、池田輝政の時代の建築で、国宝指定。
姫路城の天守は、大天守と3つの小天守の合計4つの建物が、「ロ」の字の形につながった構造をしています。このような構造の天守は、連立式天守と呼ばれます。

天守の内部見学もできます。
建物の中は、外観の美しさからは打って変わって、柱や梁など骨組みむき出しの無骨な空間です。
また、天守内部では、狭くて急な階段を上り下りすることになります。動きやすい服装や靴で訪れましょう。

備前丸
天守のすぐ南には、備前丸と呼ばれる広場(曲輪)があります。ここは、その昔、城主が暮らす御殿があったところです。
ここから、北を向けば美しい天守を間近で眺めることができます。また、見晴らしのよい場所でもあり、南を向けば姫路の街を一望できます。
天守内の見学を終えた後に、外の景色を眺めながら休憩するのにちょうどよい場所です。

千姫ゆかりの西の丸
天守の登城を終えたら、天守西側にある西の丸にも足をのばしてみましょう。
この西の丸は、徳川家康の孫娘、千姫ゆかりの深い場所としても知られます。

百間廊下
西の丸の西側の縁に沿って建てられた長い渡櫓(多聞櫓)。300m以上も続くその長さから、百間廊下と呼ばれています。
ここは、千姫付きの女中たちが暮らした場所ですが、お城西側の防御線の役割も果たしていました。
内部には、矢狭間や鉄砲狭間、石落としなどの防御施設が残ります。

化粧櫓
百間廊下の北の端に立つ二層の櫓。千姫ゆかりの建物です。
千姫は、豊臣秀吉の息子、豊臣秀頼の正室であった女性です。豊臣家滅亡後には、当時の姫路城主本多忠政の息子、本多忠刻と再婚しました。
本多家に嫁いだときに建てられたのが、この化粧櫓。
その名の通り、千姫が身支度やお化粧をするために使われたそう。内部には千姫が使用したとされる部屋が残ります。

姫路城の基本情報
住所:兵庫県姫路市本町68
開城時間:9:00~17:00(入城は16:00まで)
休城日:12/29,30
入城料:大人1000円 小学生~高校生300円
アクセス:(JR・山陽)姫路駅から徒歩20分
駐車場:有
ホームページ:姫路城(姫路城管理事務所)