昔の都といえば、多くの人は奈良や京都を思い浮かべます。しかし、現在の神戸市兵庫区にも、一時的ではありますが、都が置かれたこことがありました。
その都とは、平安時代末期、平清盛によって造営された福原京(ふくはらきょう)。
神戸・兵庫には、平氏とのゆかりの深い史跡・名所が、今も各地に点在しています。
今回はその1つ、清盛塚をご紹介します。
平氏の都・福原京
平氏が権勢を極めた平安時代末期。その頃に、平氏の総帥・平清盛によって推し進められたのが、福原京です。
当時、この近くには大輪田泊(おおわだのとまり)という大きな港がありました。
今でも兵庫区には、大輪田という地名が残されています。
この大輪田泊は、当時の中国(宋)との貿易の拠点でありました。
国際貿易港のすぐ近くに都を移して、日宋貿易を拡大。それが、清盛による福原遷都の大きな理由の1つであったと考えられています。

造営を急ぎ、なんとか遷都が実現した福原京。
しかし、安徳天皇の父・高倉上皇が遷都に反対し、また、東では源氏が挙兵。内憂外患で、清盛も福原京造営に力を注げなくなり、都は京へ戻されることになりました。
存在期間は1年にも満たなかった、短命の都・福原京。
内裏などの建物も、その後、平氏を京から駆逐した源(木曽)義仲により、すっかり焼き払われてしまいました。

清盛塚の見どころ
昔の福原京があった場所には、現在は、住宅地や市場が広がります。
しかし、街を歩けば、その各所で平氏ゆかりの名所旧跡を見つけることができます。
その1つが、清盛塚。
街の一角、周囲の建物に見え隠れするように立つ石塔。その隣には、琵琶塚と呼ばれる巨石も残ります。

清盛塚(十三重石塔)
古くからこの地に残り、「清盛塚」と呼ばれてきた十三重石塔。
高さは8.5m。先細りで細身のスタイルのよい塔です。

この十三重石塔は、鎌倉幕府執権第九代執権、北条貞時(北条時宗の嫡男)の建立と伝わります。
石塔の基礎には「弘安九」の文字。「弘安」は鎌倉時代の元号、また、弘安九年(1286年)は、二度目の元寇襲来「弘安の役」の5年後にあたります。

石塔の隣には、入道姿で立つ、平清盛の像が立っています。
「清盛塚」という名からもわかるように、この石塔は、古くから、清盛のお墓と伝えられてきました。
しかし、現代の調査の結果、この清盛塚からは清盛の遺骨など見つからず、墓ではなかったことが確認されています。

琵琶塚
十三重石塔の右側に、清盛像を挟んで大きな石が立っています。
その巨石の表面には、これまた大きな「琵琶塚」の三文字。改めて石を眺めてみると、楽器の琵琶のような形にも見えます。
この琵琶塚は、清盛の甥で、一ノ谷の戦いで戦死した、平経正(つねまさ)のお墓とされています。

清盛ゆかりのお寺、能福寺
さて、清盛塚の近くには、他にも平氏ゆかりの名所が残ります。
その中でも、特に、清盛塚とあわせて訪れておきたいのが、能福寺(のうふくじ)。
天台宗のお寺で、日本三大大仏の1つに数えられることもある、兵庫大仏で知られます。

能福寺は、福原京への遷都に伴い平氏一門の祈願時とされ、当時は、大規模な伽藍も備えていたそう。
また、ここは、平清盛が剃髪して入道になった場所ともされる、清盛ゆかりの地。
境内には、平清盛を弔う廟所「平相国廟」があります。


清盛塚の基本情報
住所:神戸市兵庫区切戸町1
入場料:無料(境内自由)
アクセス:(JR)兵庫駅から徒歩10分 (地下鉄海岸線)中央市場駅から徒歩5分
駐車場:無