京都の北部、臨済宗の名刹・大徳寺のすぐ南に、船岡山という小さな山があります。
低いながらも見晴らしの良さで知られます。
京の夏の風物詩・五山送り火における人気スポットの1つでもあります。
一方で、古来より、京の西部を抑える要衝の山であった船岡山。
室町時代の応仁の乱では、東西両軍による激しい争奪戦が行われました。
現在、山全体が国の史跡に指定されています。
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2つの大文字を眺める
京都の街中にぽっかり浮かぶ船岡山。
標高112mの小さな山で、傾斜はなだらか。
山全体が公園に整備され、誰でも気軽に登ることができます。
この船岡山からは、周囲に広がる京都の街や京都盆地を取り囲む山々を見渡せます。
まずは、北西方向を眺めてみましょう。
眼前に見える大きな「大」の字。
これは五山送り火の1つ、左大文字です。
東の方向に目を向けると、遠くの方に、これまた「大」の文字が小さく見えます。
こちらも五山送り火の1つ、東山の大文字山です。
なお、一般に、京都で「大文字」といえば、この東の大文字を指します。
「大文字」「左大文字」の他の、五山送り火は「妙法」・「船形」・「鳥居形」。
そのうち、船岡山からは、妙法と船形も見ることができます。
つまり、船岡山は、五山送り火のうちの四つを見ることができる貴重なスポット。
送り火当日は、四山を一目見ようと大勢の人が船岡山を訪れます。
船岡山の見どころ
小さいながらも、山自体の見どころも多い船岡山。
軽いお散歩感覚で山を登りながら、次のようなスポットをめぐってみましょう。
応仁の乱の戦跡
室町時代、多くの大名が東軍・西軍に分かれ、京に大軍を終結して争った応仁の乱。
この船岡山は、西軍主力の大内政弘らが布陣していました。
しかし、戦線が膠着していた応仁二年(1468年)、西軍の隙をつき、東軍の細川勝元らがここを包囲。
激しい戦闘の末、東軍がここを落としました。
現在の船岡山には、応仁の乱の戦跡を示す石碑が残ります。
建勲神社
船岡山の南東部には、建勲神社(たけいさおじんじゃ・けんくんじんじゃ)という神社があります。
この神社の祭神は、本能寺の変で明智光秀に討たれた、戦国武将・織田信長です。
もともと、この船岡山は、信長の後を継いだ豊臣秀吉により、信長の廟所と定められた場所。
明治時代に入り、この信長の「聖地」に、建勲神社の社殿が造営されました。
(詳細は、「建勲神社」のページをご覧ください)
船岡山山頂
せっかくですから、船岡山の山頂にも登ってみましょう。
山頂は、公園内のやや南寄りの位置にあります。
山頂の標高は111.89m。ここには三等三角点が置かれています。
また、この山頂付近からは、左大文字がよく見えますよ。
船岡山の基本情報
住所:京都市北区紫野北舟岡町49
アクセス:
(地下鉄)北大路駅または鞍馬口駅から徒歩20分
(バス利用)北大路駅から市バス乗車、「船岡山」または「建勲神社前」バス停下車5分
備考:入場自由