浄厳院|信長創建時のお堂も残る、「安土宗論」の舞台(滋賀名所巡り)

琵琶湖南岸の安土は、織田信長の安土城で有名なまち。

今回ご紹介する浄厳院(じょうごんいん)は、その安土にある浄土宗のお寺です。

信長時代に行われた「安土宗論」の舞台としても知られます。

浄厳院

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織田信長創建のお寺

浄厳院は、安土桃山時代の1578年、織田信長により創建されました。

安土城の築城が開始されたのが1576年頃ですから、お城とほぼ同時期に建てられたことになります。

ここには、もともと、近江守護の六角氏が建てたお寺(慈恩寺)がありました。

そこに、他のお寺から本堂や本尊を移して創建されたのが、この浄厳院です。

なお、安土城内の摠見寺もそうですが、他から建物を移築することはそれほど珍しいものではありません。

特に、安土城の築城自体、まだ終わっていなかったこの時期。
人手不足もあって手早く建てたかったのかもしれませんね。

浄厳院風景

浄土宗VS法華宗、安土宗論の舞台

また、浄厳院は、安土宗論(安土問答)でも知られるお寺です。

「安土宗論」とは、1579年(天正七年)に、浄土宗と法華宗との間で行われた宗論(問答)のこと。

ちょうど安土城に天主(天守)が完成し、織田信長が岐阜から安土へ移り住んだ時期。
その安土の町で、浄土宗と法華宗の間でいさかいが発生します。

そこで、信長の命により、浄厳院の仏殿にて、浄土宗VS法華宗の問答対決が開かれました。

結果は、浄土宗の勝利。

浄土宗側の質問に答えられなかった法華宗、信長に負けを認めさせられ、証文まで書かされたそうです。

安土宗論の舞台・浄厳院

浄厳院の境内見どころ

さて、安土城の廃城後も、戦乱などの影響を受けず、大きな荒廃は免れた浄厳院。

現在の浄土院には、本堂など、信長創建時の建物が残ります。
その後の江戸時代に建てられた諸堂も立ち並び、伽藍整った境内です。

楼門

浄厳院の正門は、三間一戸・楼門形式の豪壮な門。

この楼門は、信長による浄厳院創建よりも前にここに存在した、六角氏(佐々木氏)の旧慈恩寺の門です。

室町時代後期の建立で、国重要文化財に指定されています。

浄厳院楼門

楼門の入口、左右には一対の仁王像(金剛力士像)が置かれています。

向かって右が阿形(あぎょう)、左が吽形(うんぎょう)。
意外にも整ったお顔、イケメン仁王さまです。

浄厳院・楼門の仁王

本堂

楼門をくぐった先、正面に見えるのが本堂。
桁行(正面)七間・梁間(奥行)六間、入母屋造の重厚感あふれるお堂です。

浄厳院創建の際に、近隣のお寺から移築されたこの本堂。
室町時代後期の建物で、国重要文化財に指定されています。

本堂には、浄厳院本尊の阿弥陀如来像が安置されています。

この本尊も、別のお寺から移されてきました。
平安時代に作られた丈六仏で、国重要文化財にも指定されています。

浄厳院本堂

その他の諸堂

楼門・本堂の他にも、さまざまな建物が立ち並ぶ浄厳院の境内。
その中の注目のお堂をご紹介していきましょう。

本堂の東側には不動堂と釈迦堂の2つのお堂があります。

釈迦堂は、三間四方、入母屋造のお堂。
左右2つの火頭窓(火灯窓)が特徴的な、禅宗様の建物です。

浄厳院釈迦堂

釈迦堂のすぐ隣に立つのが不動堂。

釈迦堂と同じく禅宗様の建物で、一見、似たような感じを受けます。

ただ、こちらは正面一間、奥行二間の小堂で、屋根は宝形造。

小さいながらもコンパクトにまとまった、美しいお堂です。

浄厳院不動堂

また、境内でひときわ目立つ建物が、二階建ての鐘楼です。

上層は高欄(手すり)付き、下層は袴袴形式という、古風の鐘楼。
江戸時代中期の建築とされています。

浄厳院鐘楼

浄厳院の基本情報

住所:滋賀県近江八幡市安土町慈恩寺744

電話番号:0748-46-2242

アクセス:JR安土駅から徒歩10分

駐車場:有(普通車5台分)

備考:境内拝観自由(ただし、本堂拝観は要予約)

浄厳院地図

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