三井寺|近江の名刹に残る、秀吉闕所後の再建大伽藍(滋賀名所巡り)

三井寺は、滋賀県大津市、琵琶湖・南湖の西に立つ大寺院。
正式名称は園城寺(おんじょうじ)、天台寺門宗の総本山です。

境内には西国三十三所第十四番札所、観音堂もあります。
西国巡礼で訪れる人も多い、大津を代表する名所の1つです。

三井寺(園城寺)

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伽藍焼失と再建の繰り返し

近江の名刹・三井寺、その創建は7世紀とも伝わります。
平安時代には、延暦寺第五代座主・円珍(智証大師)により修行道場として整備されました。

しかし、その長い歴史の中で、三井寺は何度も伽藍を失っています。

宗派内の対立で、天台宗は、延暦寺の山門派と三井寺の寺門派に分裂。
その後の「山門寺門の争い」の中で、山門派の度重なる焼き討ちを受け、繰り返し伽藍を焼失しています。

さらに、桃山時代には、豊臣秀吉の怒りを買って闕所(寺領没収)を命じられています。
このときも、当時の金堂が延暦寺西塔に移されるなど、伽藍の多くが失われました。

闕所はその後解かれるものの、廃寺同然となった三井寺。
しかし、高台院(秀吉正妻・ねね)や徳川家の援助を受けて、なんとか再興しました。

三井寺唐院(智証大師廟所)

三井寺境内の見どころ

闕所後に再興した後は、幸いに大きな焼失はなく、現在に至っています。
広い境内には、桃山時代~江戸時代にかけて再建された大伽藍が今も残ります。

では、境内伽藍の主な見どころをご紹介していきましょう。

仁王門

三井寺の表門である大門。
両脇に2体の仁王像が立っていることから、仁王門とも呼ばれます。

この門は、甲賀地方の別のお寺からの移築。
移された時期は1601年ですが、元の建築時期は室町時代の1452年。
国重要文化財指定。
三井寺の建物の中でも、かなり古い部類に入ります。

三井寺仁王門

金堂

仁王門をくぐった先に広がる三井寺の広い境内。
その境内の中心は、入母屋造の大きなお堂、金堂です。

1599年、秀吉の妻・高台院(ねね)による建立。国宝指定。

金堂では内部の拝観もできます。
ただし、金堂安置の三井寺本尊・弥勒菩薩は秘仏。拝み見ることはできません。

三井寺金堂

閼伽井屋(あかいや)

金堂の横に立つ小さな建物、閼伽井屋。
御井(みい)と呼ばれる霊泉を囲う建物です。
1600年の建立、国重要文化財指定。

御井は、天智・天武・持統の3天皇の産湯に使われたという、由緒ある名水です。
三井寺(みいでら)の名前の由来になったとも言われています。

三井寺・閼伽井屋

一切経蔵

1602年、中国地方の毛利氏により、山口のお寺から移築された建物。
国重要文化財指定。

経蔵とはお経を収める建物のこと。
ここの一切経蔵には、八角形の巨大な輪蔵(お経収容棚)が置かれています。

輪蔵は、回転式の本棚のようなもの。間近で見るとその大きさに圧倒されます。

三井寺・一切経蔵

弁慶鐘と三井の晩鐘

三井寺は、古くから「鐘」でも知られるお寺。
今も、名鐘と呼ばれるにふさわしい梵鐘が残されています。

まずは、霊鐘堂に置かれた弁慶の引摺り鐘。
この鐘には、延暦寺との「山門寺門の争い」が激しかった時代の逸話が残ります。

延暦寺の僧兵であった、武蔵坊弁慶が、三井寺を焼き討ちした際に鐘をかっさらい、引きずりながら比叡山を登ったというもの。

引きずったときについたとされる、傷のようなものが鐘の表面に残っています。
奈良時代に作られた鐘で、国重要文化財指定。

三井寺・弁慶の引摺り鐘

また、鐘楼に吊られている三井の晩鐘も有名です。
こちらは、弁慶の引摺り鐘の「後継」の形で、1602年に作られました。

宇治・平等院の鐘、京都・神護寺の鐘とともに「日本三名鐘」の1つにも数えられます。

その荘厳な音色から、「音の三井寺」とも言われる三井の晩鐘。
実際に鐘をつくこともできます(有料)。

三井寺鐘楼(三井の晩鐘)

観音堂

三井寺境内南部、高台の上に立つ観音堂。
西国三十三所第十四番札所。本尊は秘仏の如意輪観音です。

三井寺観音堂(西国十四番)

観音堂の周囲には他にもお堂が集まり、この一帯は「札所伽藍」と呼ばれています。
三井寺の境内や琵琶湖を一望できる、眺望のよい場所でもあります。

観音堂周辺から三井寺境内を望む

三井寺の基本情報

住所:滋賀県大津市園城寺町251

電話番号:077-522-2238

アクセス:(京阪)三井寺駅から徒歩10分 (JR)大津駅から徒歩25分

ホームページ:三井寺(天台寺門宗総本山園城寺)

三井寺地図

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