飛鳥寺|蘇我氏の古寺に残る、奈良のもう1つの大仏(奈良名所巡り)

飛鳥大仏その2 寺院(奈良)

奈良で大仏といえば、誰もが思い浮かべるのが東大寺大仏

しかし、実は、奈良県にはもう1つ大仏が存在することをご存じでしょうか。

その場所は、古代の都が置かれた飛鳥(あすか)の地。

今回は、飛鳥大仏が残る古寺、飛鳥寺をご紹介します。

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蘇我馬子建立の古寺

飛鳥寺は、もとは、飛鳥時代の豪族・蘇我氏のお寺。

6世紀の中頃、蘇我氏全盛期を築いた蘇我馬子により建立されました。

聖徳太子建立の法隆寺四天王寺とほぼ同時期の創建。日本最古級の寺院の1つです。

塔の周りに3つの金堂、さらに、周囲が回廊で取り囲まれた大伽藍。日本最初の本格的な仏教寺院とも言われています。

また、この飛鳥寺周辺は、当時の蘇我氏の本拠地でありました。

お寺の西にある甘樫丘には、蘇我氏邸宅として有力視されている遺跡が残ります。

甘樫丘|北に大和三山、東を向けば飛鳥の名所を一望(奈良名所巡り)
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甘樫丘から眺める飛鳥寺

なお、平城京への遷都の際に、この寺も奈良に移転しました。その移転後のお寺が、現在のならまちの中にある元興寺(がんごうじ)です。

元興寺|風情ある町中にたたずむ、昔の南都七大寺の一(奈良名所巡り)
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その一方で、元のお寺も、廃寺とはならずにこの飛鳥の地で存続しました。それが現在の飛鳥寺で、今は真言宗(真言宗豊山派)のお寺です。

また、昔の伽藍跡が残るその境内は、国の史跡に指定されています。

現在の飛鳥寺境内

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飛鳥寺の見どころ

元興寺の奈良移転後、残された飛鳥寺の伽藍は平安・鎌倉時代の火災で失われてしまいました。

今のお寺の境内には江戸時代以降に再建されたお堂が立っています。

その中での注目は、飛鳥時代創建時から残るご本尊「飛鳥大仏」。

後代の補修を受けつつも、1400年の時を経て現代まで残されてきた、貴重な仏さまです。

飛鳥寺

 

本堂

飛鳥寺の境内中心に立つ本堂。

江戸時代末期、1825年の再建ですが、古代寺院の雰囲気を醸し出す寄棟造の古風なお堂です。

飛鳥寺本堂

飛鳥大仏

この本堂内に安置されているのが、飛鳥寺本尊・飛鳥大仏。

なお、飛鳥大仏というのは通称で、正式名は「銅造釈迦如来坐像」。仏教の開祖であるお釈迦さまの銅像です。

像高は275cm。正面に対してやや右に向いた姿勢で安置されています。

薬師寺唐招提寺など、後代の白鳳期・天平期の柔和な仏像とはかなり感じが違いますね。目元や頬など、どこか異国の雰囲気を感じさせるお顔が印象的です。

飛鳥大仏

この飛鳥大仏、後代にかなり補修されてはいるものの、創建時の部分も残しています。

飛鳥寺創建時ということは東大寺大仏よりも古いことから「日本最古の大仏」とも呼ばれています。国の重要文化財にも指定されています。

なお、一般に仏像の撮影はNGであるお寺は多いのですが、この飛鳥大仏は撮影OKです。

飛鳥大仏その2

蘇我入鹿の首塚

飛鳥寺の見どころをもう1つご紹介。

お寺の西はずれに、甘樫丘を背にして、1つの五輪塔がポツンと立っています。

これは、蘇我入鹿(いるか)の首塚です。

蘇我入鹿は、飛鳥寺を建立した蘇我馬子の孫にあたる人物。父の蝦夷(えみし)とともに権勢を誇り、当時の朝廷を牛耳りました。

しかし、蘇我氏の専横に反感を抱いた中大兄皇子・中臣鎌足による、クーデターが勃発(乙巳の変)。

この変を察知できなかった蘇我入鹿は、天皇の面前で討たれてしまいました。

天皇の宮殿で討たれた入鹿の首が、はるばる飛んできてここに落ちたという伝承も残されています。

蘇我入鹿首塚

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飛鳥寺の基本情報

住所:奈良県高市郡明日香村大字飛鳥682

拝観時間:午前9時~午後5時半(10月~3月は午後5時閉門)

拝観料:大人・大学生500円 中高生300円 小学生250円

アクセス:
(近鉄)橿原神宮前駅または岡寺駅から徒歩35分
(バス利用)近鉄橿原神宮前駅東口から周遊バス(赤かめ)乗車、バス停「飛鳥大仏前」下車

駐車場:有(普通車20台)

飛鳥寺地図