大阪府には、日本を代表する古墳群が2つもあります。
1つは、大仙陵古墳(仁徳天皇陵)を中心とする堺の百舌鳥古墳群。
もう1つは、藤井寺と羽曳野にまたがる古市古墳群です。
今回は、後者の古市古墳群における中心的な存在、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)をご紹介します。
知名度では仁徳天皇陵の陰に隠れておりますが、実は全国第二位の大きさを誇る巨大古墳です。
古市古墳群とは
百舌鳥古墳群があるのは大阪府堺市ですが、その東に、藤井寺と羽曳野という2つの市があります。
この藤井寺と羽曳野にまたがるように、5世紀~6世紀の古墳時代に築造された、数多くの古墳が点在しています。
これが古市古墳群。123基の古墳で構成されています。
古墳の大きさ・形はさまざま。巨大前方後円墳から、直径数mの円墳まで、いろんな古墳があります。
藤井寺の古墳には、仲哀天皇陵や津堂城山古墳などがあります。


一方、羽曳野にある古墳としては、今回ご紹介する応神天皇陵や、ヤマトタケルの墓に治定されている白鳥陵古墳が有名です。

全国第二位の前方後円墳
応神天皇陵の古墳名称は、誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)。
宮内庁により、第15代応神天皇の陵に治定されています。

応神天皇陵は、日本有数の大きさを誇る、巨大前方後円墳。
墳丘長は425mで、古市古墳群の中で最大。全国の前方後円墳の中でも、仁徳天皇陵に次いで第二位です。
なお、この古墳の被葬者とされる第15代応神天皇の息子は、第16代仁徳天皇。
このように、百舌鳥古墳群や古市古墳群の巨大古墳の多くは、応神天皇以降の時代の天皇・皇族の陵に治定されています。
(注)あくまでも宮内庁がそう決めているだけで、実際にその人物が埋葬されたと確定しているわけではありません。

拝所は北側の前方部
応神天皇陵は幅の広い濠に囲まれています。
神聖な天皇陵として宮内庁に厳重に管理されており、濠の中に立ち入ることはできません。
ただし、陵の北側に、周囲が開けた拝所があり、ここから古墳全体を眺めることができます。

なお、前方後円墳は、前の方形部と後ろの円形部とが繋がった「鍵穴」のような形をいますが、一般には、後方の円形部に被葬者が埋葬されています。
応神天皇陵では、円形部が南側で、方形部が北側。
地図や航空写真で見るとよくわかりますが、鍵穴を逆さにした形となります。
上の拝所は、前方部の北辺、「鍵穴」の底辺部分にあります。
西側には外濠・外提
現在の応神天皇陵は一重の周濠に囲まれていますが、築造当時は、さらに外側にも別の濠(外濠)があったようです。
現在、陵の西側に外濠と外提が残り、濠に沿って歩けるようになっています。
この外濠と外提は、国の史跡にも指定されています。

応神天皇陵の周辺スポット紹介
長大な外周を誇る巨大な応神天皇陵。
陵の周りをぐるりと巡るなら、併せて、次の周辺スポットにも足をのばしてみましょう。
拝所近くの小古墳
大きな応神天皇陵の周囲には、あちこちに小さな古墳が点在しています。
その中でも、陵の北側、拝所周辺にある小古墳を2つご紹介しましょう。
まずは、応神天皇陵拝所のすぐ近くにある、誉田丸山古墳。
応神陵の陪塚(ばいづか)の1つ。木々に覆われて形がわかりにくいですが、直径50mの大きな円墳です。
過去の発掘で、鞍金具(国宝指定)などが出土しています。
出土品は、現在、陵の南側の誉田八幡宮の所蔵となっています。

応神陵の拝所北側には、大鳥塚古墳があります。こちらは木が少なく、墳丘の形がわかりやすい古墳です。
応神天皇陵と比べれば規模は小さいですが、それでも、墳丘長110mを誇る前方後円墳です。

誉田八幡宮
応神天皇陵の拝所とは反対の南側、円形部の先端近くには、誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)があります。
一般に、八幡宮を名乗る社には、応神天皇の神霊とされる「八幡神」が祀られています。
この誉田八幡宮も例外ではなく、主祭神はもちろん応神天皇。
応神天皇の陵墓のすぐそばで、応神天皇を祀る誉田八幡宮。日本最古の八幡宮とも言われる、由緒正しき神社です。
また、応神天皇の他、応神天皇の父・第14代仲哀天皇と、母・神功皇后も祀られています。


応神天皇陵の基本情報
住所:大阪府羽曳野市誉田6丁目
備考:拝所までは入場自由(陵墓内は立ち入り禁止)
ホームページ:応神天皇 惠我藻伏崗陵(宮内庁ホームページ)