尼崎・寺町|新しいお城の近く、古寺が並ぶ風情ある町(兵庫名所巡り)

大阪市の西隣にある尼崎。

平成最後の年である2019年、約150年ぶりの尼崎城の再建が話題となりました。

一方で、この新しいお城の近くには、古いお寺が立ち並ぶ風情あるエリアも残ります。

昔の尼崎城があった江戸時代からの町並み。
ここは、「寺町」と呼ばれています。

尼崎・寺町

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尼崎城と寺町

尼崎は、古くから、京・大坂と西国とを結ぶ、交通の要衝として知られました。

また、江戸幕府は、直轄地・大坂の西の守りとして、この尼崎を重視。

譜代大名・戸田氏鉄に命じて築かせたのが尼崎城です。

尼崎城

築城と並行して、お城の周辺には、藩士や領民が暮らす城下町が作られました。

なお、江戸時代の城下町は、身分・業種などによって町が区分けされるのが一般的。

尼崎城の城下町も、武家町や商人町などのエリアに分かれていました。
そのうち、西の一角にあったのが寺町です。

寺町風景

寺町には、お城周辺の寺院や藩主ゆかりのお寺など、さまざまな宗派のお寺が集められました。

尼崎城ができた当初の寺院の数は、約20。

その後、移転や廃寺などあったものの、現在でも、11のお寺が軒を連ねています。

寺町・本興寺境内

寺町の寺院紹介

現在の寺町は、阪神尼崎駅のやや南西、尼崎城からも歩ける距離にあります。

駅周辺は、長い商店街が縦横にのび、人通りが絶えない、尼崎随一の繁華街。

しかし、駅から通り一つ隔てた、この寺町は意外にも静か。
土塀越しに仏堂や塔が垣間見える、風情ある町並みが続きます。

では、現在の寺町に残る寺院をいくつかご紹介していきましょう。

なお、以下のお寺は、すべて拝観自由です。
寺町散策の折には、気軽に境内を訪れてみましょう。

寺町の風景

本興寺

本興寺(ほんこうじ)は、法華宗(本門流)のお寺。
京都・本能寺などと並ぶ、法華宗本門流・四大本山の1つです。

創建は、室町時代中期の1420年。

現在の寺町で、最大規模の伽藍を誇る大寺院。
境内には、本堂や鐘楼、国重要文化財の開山堂・大方丈・三光堂などが立ち並びます。

また、天下五剣の1つ、数珠丸(国重要文化財)を所有することでも知られます。

(詳細は、「本興寺」のページをご覧ください)

寺町・本興寺

広徳寺

広徳寺(こうとくじ)は臨済宗の寺院。
室町時代前半、1390年の創建と伝わります。

室町時代には、管領・細川家内の抗争で敗れた細川高国がここで自刃しています。

また、本能寺の変後の「中国大返し」の途中に、秀吉がここで休憩したと伝わるなど、「太閤ゆかりのお寺」としても知られます。

寺町・広徳寺

法園寺

法園寺(ほうおんじ)は、浄土宗のお寺です。
室町時代後期の天文年間(1532~1555)の創建と伝わります。

境内には、織田信長の配下武将であった、佐々成政のお墓があります。

本能寺の変で信長亡き後、佐々成政は、秀吉と対立するも力及ばず降伏。

その後、秀吉から肥後国(現在の熊本県)の統治を命ぜられますが、大規模な反乱発生・失政の責任を問われ、この地で切腹させられました。

寺町・法園寺

大覚寺

大覚寺(だいかくじ)は、真言宗のお寺。

飛鳥時代・推古天皇治世の頃の創建と伝わり、尼崎市内で最古の歴史を誇ります。

鎌倉時代に伽藍が整えられ、室町時代には二代将軍足利義詮がここに在陣しています。

なお、明治時代に本堂などを焼失。現在の主な建物は戦後の再建です。

寺町・大覚寺

長遠寺

長遠寺(ぢょうおんじ)は、日蓮宗のお寺です。
南北朝時代、1350年の創建と伝わります。

この寺町の中では、本興寺と並ぶ大寺院。

本堂と多宝塔は桃山時代の建築とされ、国重要文化財に指定されています。

また、その他にも、客殿や鐘楼など、江戸時代前期の建物が残ります。

(詳細は、「長遠寺」のページをご覧ください)

寺町・長遠寺

如来院

如来院(にょらいいん)は、浄土宗のお寺。

奈良時代、聖武天皇勅願・行基(ぎょうき)建立の釈迦堂が、そのはじまりとされています。

境内には、室町時代中期に建てられた、大きな鐘楼が残ります。

寺町・如来院

尼崎・寺町の基本情報

住所:兵庫県尼崎市寺町

アクセス:(阪神)尼崎駅から徒歩5分

駐車場:一部寺院には参拝者用駐車場有、また、阪神尼崎駅南に市営駐車場有

ホームページ:
尼崎城と城下町・寺町のご案内(あまがさき観光局)
本興寺(法華宗本門流公式ホームページ内)
大覚寺
如来院

尼崎・寺町地図

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