東大寺の造営で知られる奈良時代の僧・行基(ぎょうき)。
貧民救済やインフラ整備などの活動を精力的に行った名僧で、今も関西各地にその足跡が残ります。
今回は、その行基とのゆかりが深い、兵庫県伊丹の昆陽寺(こんようじ・こやでら)をご紹介。
境内南の入口に立つ、大きな朱色の山門が目印です。
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行基ゆかりの古刹
今もその各地で行基の名が登場する、伊丹の地。
例えば、「野鳥の楽園」として知られる昆陽池は、行基によって作られた農業用ため池。
また、近隣には「行基町」という地名も残ります。
そして昆陽寺。ここは行基とのゆかりの深い古刹。
その前身は、奈良時代の731年(天平3年)、行基が貧民救済のために作った施設「昆陽施院」です。
その後、聖武天皇の勅願寺となり、伽藍が整備されました。
昆陽寺のそばには、京から西国へ向かう昔の幹線道路、西国街道が通っていました。
周辺が賑わうにつれてお寺も発展。付近に多くの寺領を保有する大寺院となりました。
しかし、それも、安土桃山時代になると暗転します。
摂津国を治める荒木村重が、有岡城に籠もり織田信長に反抗。これに昆陽寺も巻き込まれ、兵火で伽藍を失いました。
その後、江戸時代に入ってようやく復興、伽藍も再建された昆陽寺。
現在は、高野山真言宗の寺院。
「こやでら」と呼ばれ、地元の人たちに親しまれているお寺です。
昆陽寺の境内見どころ
さて、現代の昆陽寺、境内南側には旧西国街道と並行する国道171号線が走っています。
その国道に面して立つ、鮮やかな朱塗りの山門。
遠目にもよくわかるこの大きな門は、昆陽寺のシンボルです。
現在の境内には、この山門をはじめ、江戸時代に再建された建物が残ります。
山門(楼門)
お寺の南正面に立つ山門。
二階建ての楼閣で屋根は一層、いわゆる楼門形式の門です。
この山門は、江戸時代の前期、明暦年間(1655~1658年)の建立とされています。
門の入口左右には、阿吽一対の仁王像。
いかついお顔で、参拝客を出迎えてくれます。
本堂(薬師堂)
山門をくぐった先の境内、真正面に見えるのが本堂です。
1995年の阪神淡路大震災では、昆陽寺は壊滅的な被害を受けました。
当時の本堂は崩壊、山門など他の建物も被災しました。
現在の本堂は、震災から二年後に再建されたものです。
本堂には、行基作とも伝わる、昆陽寺本尊・薬師如来像が安置されています。
鐘楼
本堂向かって右手、手水舎の奥に、大きな鐘楼があります。
江戸時代後期、1789年の建立。
袴腰形式の古風な楼閣です。
梵鐘は、高欄(手すり)が巡らされた二階にかけられています。
観音堂
本堂の右奥にあるのは観音堂。
十一面観音像を安置するお堂です。
寄棟造、三間四方の小ぶりな仏堂。
山門と同じく、江戸時代初期の建築とされています。
行基堂(開山堂)
一方、本堂の左奥には、行基堂があります。
こちらも三間四方のお堂、ただし、屋根は宝形造です。
堂内に、昆陽寺の開山、行基の像と、脇侍の文殊・普賢の両菩薩像を祀ります。
行基塚
本堂の背後の境内奥には、木々が生い茂る林が広がります。
その林の中に、大きな五輪塔が見え隠れしています。
これは行基塚。行基のお墓です。
境内の石仏
また、昆陽寺は、西国三十三所霊場・四国八十八カ所霊場の石仏でも知られます。
行基塚の周囲など、境内のあちこちに置かれた石仏たち。
各霊場・札所のご本尊の仏さまです。
お時間ありましたら、境内を巡りながら、一番から順にお参りしておきましょう。
昆陽寺の基本情報
住所:伊丹市寺本2丁目169
電話番号:072-781-6015
開門時間:午前8時~午後5時
アクセス:阪急伊丹駅・JR伊丹駅からバス乗車、「昆陽里」バス停下車、徒歩3分
駐車場:境内に駐車スペース有(車は西門から)
備考:境内拝観自由