神戸市西部の須磨は、白砂の美しい海岸線で知られる風光明媚な地。
古くからの景勝地で歴史は古く、各所にさまざまな名所旧跡が残ります。
その須磨を代表する名所の1つが、今回ご紹介する須磨寺です。
源平合戦ゆかりのお寺としても知られます。
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源平ゆかりの古刹
須磨寺は、平安時代前期の886年、光孝天皇の勅願で創建されたと伝わる古刹。
弘法大師を開祖とする真言宗のお寺で、現在は、真言宗須磨寺派の大本山です。
ところで、須磨の地は、源平争乱の「一ノ谷の合戦」における主戦場としてもよく知られています。
合戦当時、平家の軍勢は、一ノ谷の裏手断崖を背に陣を敷いていました。
しかし、崖を駆け下ってきた源義経率いる軍勢により、その背後から奇襲を受けます。
予期もせぬ方向から襲撃を受け、平家は全軍潰乱。
多くの平家武者がこの地で討たれました。
この戦で義経が本陣を置いた場所とされるのが、この須磨寺です。
今もお寺の境内には、源平の史跡が数多く残ります。
須磨寺の境内見どころ
六甲山系の山麓に立つ須磨寺。
広い境内に、本堂をはじめ諸堂が立ち並びます。
その他にも源平史跡など、見どころたくさん。
須磨寺は無料で拝観できます。
のんびり気ままに、広い境内をぶらりとめぐってみましょう。
仁王門
須磨寺境内の南に立つ八脚門で、須磨寺の正門。
平安時代末期、源三位頼政による再建です。
門の入口左右には、阿吽一対の仁王さまがいかついお顔でお出迎え。
こちらは、鎌倉時代の仏師、運慶・湛慶親子の作と伝わります。
本堂
仁王門から先、参道がまっすぐ奥へとのびています。
本堂は、その参道の一番先にあります。
入母屋造、本瓦葺き、周囲に縁をめぐらせた、伝統的な建築様式の仏堂です。
この本堂は、慶長年間、豊臣秀頼の寄進による再建。
ただし、本堂内陣の宮殿と仏殿は南北朝時代のもので、国重要文化財に指定されています。
堂内には、須磨寺本尊・聖観音菩薩が、脇侍の毘沙門天・不動明王とともに安置されています。
三重塔
本堂の左手に立つ三重塔。
鮮やかな朱色がよく目立つこの塔は、須磨寺境内のシンボルです。
この三重塔は、昭和59年に再建されたものです。
塔の周囲には、四国八十八カ所お砂踏み霊場があります。
源平史跡めぐり
「源平ゆかりのお寺」須磨寺には、源平合戦にまつわる史跡が残ります。
まずは、本堂向かって右手、鐘楼につり下げられた梵鐘。
義経が鵯越を越える際に、武蔵坊弁慶がこれを長刀の先にかけて陣鐘に用いたとか。
「弁慶の鐘」と呼ばれています。
本堂の左側には「義経腰掛け松」と「首洗い池」。
一ノ谷の合戦では、多くの平家武者が討たれましたが、平敦盛(たいらのあつもり)もその1人。
平清盛の甥で、当時、まだ若武者であった敦盛。
しかし、源氏の熊谷直実と一騎打ちで戦い、敗れて首を取られました。
当時の戦では、討ち取った武将の首は本陣に送られて、大将の首実検にかけられます。
敦盛の首も、義経が本陣を置いた須磨寺に送られました。
この首実検の際に、義経が座ったと伝わる「腰掛け松」。
また、その際に、首を洗ったとされるのが「首洗い池」です。
その後、敦盛の首は、ここで手厚く葬られました。
須磨寺の境内西の端には、敦盛の首塚が残されています。
また、須磨寺の宝物館には、敦盛遺愛の笛など、源平ゆかりの宝物が保管されています。
お時間ありましたら、境内史跡めぐりとあわせ、宝物館へも足をのばしてみましょう。
奥の院
本堂背後の山には、須磨寺の奥の院。
本堂の東側、弁慶の鐘付近に、この奥の院へ向かう参道の入口があります。
参道では「十三仏・七福神巡り」ができます。
納経所で受け取った納め札を、参道途中にあるお堂に納めてお参りします。
参道の奥、一番高いところに立つのが奥の院。
ここには、真言宗の祖、弘法大師空海が祀られています。
なお、奥の院参拝に要する時間は、往復でおよそ30分程度です。
ただし、山麓から奥の院まで石段が延々と続きます。
時間は気にせず、ご自分のペースでお参りしましょう。
亜細亜万神殿
最後に、近年落慶(平成28年)の亜細亜万神殿(あじあばんしんでん)をご紹介。
場所は仁王門の手前(外側)。
須磨寺に奉納された、東南アジアやインドの石仏が数多く安置されています。
奥には、平成27年に発生したネパール大地震の復興祈念堂が建てられています。
この亜細亜万神殿も拝観は自由です。
須磨寺の基本情報
住所:神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8
電話番号:078-731-0416
拝観時間:午前8時半~午後5時
拝観料:無料
アクセス:(山陽電鉄)須磨寺駅から徒歩5分 (JR)須磨駅から徒歩12分
駐車場:有
ホームページ:大本山 須磨寺