城南宮|平安京の南、歴史ある鳥羽の地に鎮座する名社(京都名所巡り)

現在の京都市南部・伏見区に、「鳥羽」という古い地名が残ります。

ここは、平安時代には離宮(鳥羽離宮)が置かれたことで知られる、歴史ある地。
白河上皇をはじめ、数々の上皇たちの院政の拠点となりました。

この鳥羽の地に、由緒ある1つの社が鎮座しています。
それが、今回ご紹介する城南宮(じょうなんぐう)です。

城南宮

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王城の南に立つ名社・城南宮

平安遷都の際に創建されたとも伝わる城南宮。

この神社が建てられた鳥羽の地は、当時の平安京の南。
王城(平安京)の南の社という意味で、「城南宮」と呼ばれるようになりました。

洛外ではありながら、京からほど近い位置に鎮座する城南宮、たびたび歴史にも登場します。

平安時代後期の白河上皇の時代には、鳥羽に、大規模な離宮(鳥羽離宮)が造営されました。

この鳥羽離宮の中に城南宮も取り込まれ、離宮の鎮守社として篤い崇敬を受けました。

神苑・春の山(鳥羽離宮築山)

また、近代には、戊辰戦争の緒戦、鳥羽・伏見の戦いの戦場となりました。

京の天皇を擁する新政府軍と大坂から京へ進撃する旧幕府軍とが、ここで対峙。
両軍は、城南宮のすぐ西、小枝橋付近で激突します。

城南宮の参道から間断なく火を噴く、薩摩藩の大砲。
激しい戦闘の結果、戦いは新政府軍の勝利に終わりました。

鳥羽伏見の戦碑

城南宮の境内見どころ

木々に囲まれた静かな社、城南宮。

境内の中心には、本殿・拝殿などの社殿が立ち並びます。
その周囲に、「神苑」と呼ばれる美しい庭園が広がります。

境内入口は東と西

城南宮境内への入口は東と西に1つずつ。
それぞれ大きな石の鳥居が立っています。

東の鳥居は、幕末の文久元年(1861年)に建てられたもの。
鳥居の上部にかかる「城南離宮」の扁額は、有栖川宮幟親王の揮毫です。

(近鉄・地下鉄)竹田駅から徒歩で参拝される方は、東の入口が近くて便利です。

城南宮・東の鳥居

西の石鳥居も、文久元年(1861年)の建立。

この鳥居にも、東と同様「城南離宮」の扁額がかけられています。
こちらは、関白九条尚忠の筆です。

なお、西の鳥居の横には大きな駐車場があります。
車で参拝される方は、こちらが便利です。

城南宮・西の鳥居

東西にのびる参道

東または西の鳥居をくぐった先、参道が奥へと続きます。
この参道は、東西の鳥居を両端として、境内を横断するように東西にのびています。

東側の参道には、真幡寸神社(まはたきじんじゃ)などの摂社・末社が並びます。

城南宮境内摂社・真幡寸神社

社殿立ち並ぶ境内中心

参道の真ん中付近までくると、朱い鳥居が見えてきます。
ここが境内中心への入口です。

なお、鳥居をくぐる前に、横の手水舎で手を清めることをお忘れなく。

この手水は伏見名水の1つで、「菊水若水」と呼ばれています。

城南宮手水舎(伏見名水・菊水若水)

朱色の鳥居の先には、本殿をはじめ、城南宮の主な社殿が立ち並びます。

中央に拝殿、その奥に本殿があります。
本殿には、息長帯日売命(神功皇后)、八千歳神(大国主神)、国常立尊の三柱が祀られています。

城南宮は、方除け・厄除けの神さまとして知られます。

城南宮・境内中心

本殿向かって右側には、雅な寝殿造風の大きな社殿があります。これは神楽殿。

普段は、企業・団体の祈願や結婚式など、多目的な用途に使用されています。

ただ、「神楽殿」の名前は伊達ではありません。

初春の「梅」、初夏の「藤」、初秋の「菊」の時期に、神楽殿の表舞台にて巫女神楽の奉納が行われます。

それぞれの季節の花を手にした巫女が舞を披露します。

城南宮神楽殿

花と緑の庭・神苑

社殿を取り囲むように広がる神苑も、城南宮の見どころの1つ。

四季折々の花や緑の彩りが美しい日本庭園です。
(神苑は拝観有料)

「春の山」・「平安の庭」・「室町の庭」・「桃山の庭」・「城南離宮の庭」の5つの庭で構成されています。

それぞれ趣の異なる5つの庭、神苑を巡る参拝客の目を楽しませてくれます。

城南宮・神苑

城南宮の基本情報

住所:京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地

電話番号:075-623-0846

神苑拝観:(拝観時間)午前9時~午後4時半 (拝観料)大人600円・小中生400円

アクセス:(近鉄・地下鉄)竹田駅から徒歩15分

駐車場:有(西の鳥居近くに大駐車場、東にも駐車場あり)

ホームページ:城南宮

城南宮地図

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