奈良県中部の橿原。
ここは、古より知られる大和三山が今も残り、また、藤原京も置かれた、歴史ロマンあふれるエリアです。
特に、大和三山の一、畝傍山(うねびやま)の周辺は、初代天皇・神武天皇が橿原宮を置いたとされる伝説の地。
橿原神宮をはじめ、神武天皇とのゆかりの名所旧跡が残ります。
その中でも、今回は、特に、畝傍山の東北の麓にある畝傍山東北陵(うねびやまのうしとらのすみのみささぎ)をご紹介。
長い名前ですが、いわゆる「神武天皇陵」です。
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神武天皇とは?
神武天皇(磐余彦尊、イワレビコ)は、古事記や日本書紀の神話で登場する、伝説の人物です。
イワレビコは、天孫・瓊瓊杵尊(ニニギ)の子孫。
日本の国を治めるため、日向国(現在の宮崎県)から東の大和へ向けて遠征を開始します。
途中、兄たちを失うなど苦難もありましたが、なんとか大和を制圧。
橿原の地に宮殿(橿原宮)を造営し、天皇に即位しました。これが初代・神武天皇です。
(神武天皇については、「神社について(祭神編その1)」のページもご覧ください)
日本書紀によれば、神武天皇は即位76年で崩御、畝傍山の北方に葬られたとされています。
この伝承に基づき、現代では、畝傍山から東北に位置する墳墓「畝傍山東北陵」が、宮内庁によって神武天皇陵に治定されています。
広い敷地に立派な拝所
一般に、宮内庁により管理されている陵墓は、どこも立ち入り禁止です。
ただし、陵の前には鳥居の立つ拝所があり、ここは誰でも入ることができます。
拝所があることについては、神武天皇陵についても同じ。
しかし、ここは、さすがに初代天皇の陵。
力の入れようが、他の天皇陵とはかなり異なります。
拝所までずっと続く、幅広の参道
仁徳天皇陵などの大きな陵墓でも、入口から拝所までの参道はそれほど長くはないのですが、ここは違います。
まず、陵墓の周辺には広大な敷地が広がります。
東の入口から陵墓や拝所は見ることはできず、砂利が敷き詰められた幅広の参道が奥へ続いています。
こんもりとした木々に囲まれた、閑静で厳かな空間。
参道をずっと進んでいくと、一番奥に、拝所に立つ大きな鳥居がようやく見えてきます。
3つの鳥居に手水付きの拝所
参道の先が、神武天皇の陵墓と拝所。
陵墓前の拝所は、一面に白い砂利が敷き詰められた広々とした空間。
一般的な天皇陵の数倍もの広さを誇ります。
普通の天皇陵では、拝所には鳥居は1つ立っているだけ。
しかし、ここでは、正面の陵墓に向けて、3つの鳥居が並んでいます。
近くには、参拝前に手や口を清めるための手水も完備。
初代天皇の陵にふさわしい、立派な拝所です。
拝所正面の陵墓は、こんもりと茂った木々で覆われています。
やや形がわかりにくいですが、円丘の古墳です。
周辺の天皇陵めぐり
畝傍山の周辺には、神武天皇陵の他に、第二代~第四代の天皇の陵があります。
畝傍山や神武天皇陵の近くを散策される折には、こちらの天皇陵にも足をのばしてみましょう。
なお、これらの天皇の名は、多くの人には、耳慣れない名前かもしれません。
それもそのはず、第二代以降の8人の天皇は、古事記や日本書紀にもほとんど記述がないのです。
「欠史八代」と呼ばれる、神武天皇以上に謎の多い天皇たちです。
綏靖天皇陵
第二代天皇の綏靖(すいぜい)天皇の陵に治定されているのは、桃花鳥田丘上陵(つきだのおかのえのみささぎ)。
神武天皇陵のすぐ北にあります
安寧天皇陵
第三代安寧天皇の陵に治定されているのは、畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのいのえのみささぎ)。
こちらは、畝傍山の南西の麓にあります。
懿徳天皇陵
また、第四代懿徳(いとく)天皇の陵に治定されているのは、畝傍山南纖沙溪上陵(うねびやまのみなみのまなごのたにのえのみささぎ)
こちらも畝傍山の南西、安寧天皇陵のすぐ近くにあります。
神武天皇陵の基本情報
住所:奈良県橿原市大久保町
電話番号:0744-22-3338(宮内庁書陵部畝傍陵墓監区事務所)
アクセス:
(近鉄)畝傍御陵前駅から徒歩9分、橿原神宮前駅から徒歩20分
(JR)畝傍駅から徒歩17分
駐車場:有(近隣の橿原神宮にも駐車場有り)
ホームページ:神武天皇 畝傍山東北陵(宮内庁ホームページ)