JR神戸駅北側、落ち着いた雰囲気の街の中に鎮座する大きな社。
ここが、神戸でもよく知られた名社の1つ、湊川神社です。
その創建は明治時代と、比較的新しい神社。
主祭神は、鎌倉時代末期に活躍した実在の武将、楠木正成です。
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楠木正成最期の地、湊川
湊川神社に祀られる楠木正成は、鎌倉時代末期に活躍した河内国(今の大阪府東部)の武士。
足利尊氏とともに後醍醐天皇による倒幕に貢献した名将。
河内の赤坂城や千早城での戦いが特に有名です。
太平記には、下から攻め上ってくる幕府の大軍に対し、山上の城から巨木や大石、熱湯などを浴びせて翻弄した話など、正成の活躍ぶりが描かれています。
しかし、鎌倉幕府を倒した後は、後醍醐天皇から離反した足利尊氏と敵対。
その後は、足利軍との戦いに忙殺されます。
この名将・楠木正成の最後の戦となったのが、現在の神戸市・湊川で行われた「湊川の戦い」です。
九州から京へ攻め上ってきた足利尊氏の大軍を迎え撃つも、武運なく敗退し自刃。
この地で、その生涯を閉じました。
湊川神社の見どころ
楠木正成を祀る神社として、正成最期の地に建てられたのが、この湊川神社。
境内には、楠木正成とその一族を祀る社殿の他、正成ゆかりの史跡も残ります。
社殿
表門をくぐった参道の先に立つ立派な社殿。
創建時の社殿は戦時中の空襲で焼失。現在のものは戦後の再建です。
この社殿は、後の本殿と前の拝殿が一体になった建物で、八棟造り(やつむねづくり)とも呼ばれます。
ここには、主祭神の楠木正成に加え、正成夫人や弟・正季、息子の正行など、楠木一族も一緒に祀られています。
楠木正成戦没地
湊川の戦いで敗れた楠木正成は、弟の正季と刺し違えて自刃したと伝わります。
その自刃場所(戦没地)が、現在の湊川神社の境内に残ります。
ただ、この戦没地、境内奥のちょっと目立たないところにあります。
境内をめぐりながら探してみましょう。
楠木正成墓所
表門のすぐ右、こちらはわかりやすい場所にあります。
墓所の中には1つの墓碑。石でできた亀の上に立っています。
この墓碑は、江戸時代、水戸藩二代藩主、徳川(水戸)光圀(水戸黄門)によって建てられました。
熱烈な尊皇家でもあった水戸光圀。
後醍醐天皇に忠誠を尽くした楠木正成への崇敬も厚かったと言われています。
墓碑の表面には「嗚呼忠臣楠子之墓」の八文字が刻まれています。
これらの文字は水戸黄門自らの揮毫です。
宝物殿
境内の一角にある、湊川神社の宝物殿。
一般にも公開されています(拝観有料)。
名将・楠木正成を祀る神社にふさわしく、収蔵されている宝物には武具が多いです。
楠木正成が着用したとされる腹巻など、国重要文化財指定の名品もあり。
業物の刀剣も数多く収蔵されています。
湊川神社の基本情報
住所:神戸市中央区多聞通3-1-1
電話番号:078-371-0001
アクセス:(阪急・阪神)高速神戸駅から徒歩すぐ、(JR)神戸駅から徒歩3分
ホームページ:湊川神社(楠公さん)