聖衆来迎寺|入口には坂本城の城門!湖西の穴場名所(滋賀名所巡り)

大津市北部、琵琶湖西岸に位置する坂本は、比叡山麓の日吉大社や西教寺など見どころの多いまち。

しかし、山麓から東に離れた湖畔近くにも、実は隠れた穴場の名所あり。

それが今回ご紹介する聖衆来迎寺(しょうじゅらいごうじ)。

坂本の名所の中では知名度はやや劣るものの、歴史ある建物が残る古刹です。

聖衆来迎寺

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聖衆来迎寺はどんなお寺?

聖衆来迎寺は、比叡山延暦寺を総本山とする天台宗のお寺。

寺伝によれば、延暦寺とほぼ同時期の790年(延暦9年)、最澄(伝教大師)による創建。
また、平安時代中期の1001年、恵心僧都(源信)によって再興されています。

寺名にある「来迎」からもわかりますが、浄土信仰色が強いお寺で、本尊も阿弥陀如来。

国宝・六道絵(輪廻転生の六道の様子を絵にしたもの)でも知られます。
六道絵は、現在、東京・京都・奈良の国立博物館などに分割寄託されています。

聖衆来迎寺境内

歴史ある建物が残る境内

長い歴史を誇る聖衆来迎寺ですが、その創建以来、天災などで建物をたびたび焼失しています。

それでも、現在の境内には、桃山時代~江戸時代に建てられた古い建物が残ります。

以下ご紹介する、表門、本堂、客殿、および、開山堂は、すべて国重要文化財の指定を受けています。

聖衆来迎寺境内建物

表門

聖衆来迎寺の入口に立つ薬医門。
この門は、明智光秀の坂本城から移築されたものと伝わります。

坂本城の遺構がほとんど残っていない中、歴史的にも、この門は大変貴重な存在です。

聖衆来迎寺表門

本堂

境内入って右手に立つ、どっしりとしたお堂が本堂です。
桁行五間・梁間七間、寄棟造。江戸時代寛文5年(1665年)の建築です。

本堂では、お堂の周囲に張り出す縁側をチェック。

仏堂の縁は木で作られているのが普通ですが、このお堂の縁は石でつくられていてかなり珍しいです。

聖衆来迎寺本堂

客殿

本堂の横に立つ客殿は、寛永16年(1639年)の建築。
瓦葺きの建物が並ぶ境内で、唯一の杮葺(こけらぶき)。
周囲とは違った雰囲気を醸し出しているこの客殿、境内の中でよく目立っています。

客殿の東には、県指定名勝の日本庭園が残ります。
拝観は可能ですが、事前予約が必要です。

聖衆来迎寺客殿

開山堂

表門の正面、境内の一番奥に立つ開山堂。
方三間、入母屋造の落ち着いた雰囲気のお堂。

聖衆来迎寺の実質的な開祖といえる、恵心僧都を祀ります。
こちらも寛永16年(1639年)の建築です。

聖衆来迎寺開山堂

開山横に眠る戦国武将

開山堂の左横、お堂の陰に隠れるように、1つの五輪塔がひっそりと立っています。
これは、織田信長の配下武将、森可成(もりよしなり)の供養塔。

武勇に優れ、信長からのの信頼も厚かった森可成。
本能寺の変で織田信長に殉じた、森蘭丸の父としても知られます。

森可成は、当時、坂本から少し南にあった宇佐山城の守将。
1570年、浅井・朝倉連合軍の大軍を、坂本の地において迎え撃つも、敗れて戦死。
そのときの戦場付近にあった、この聖衆来迎寺で葬られました。

なお、森可成が戦死してから1年後の、織田信長による比叡山焼き討ちでは、日吉大社など坂本一帯も大きな被害を受けました。

しかし、延暦寺と関係の深いはずの聖衆来迎寺は、焼き討ちを逃れます。

これは、このお寺に森可成のお墓があったことが理由の1つとして考えられています。

聖衆来迎寺・森可成の墓

聖衆来迎寺の基本情報

住所:滋賀県大津市比叡辻2丁目4−17

電話番号:077-578-0222

アクセス:(JR)比叡山坂本駅から徒歩15分 (京阪)坂本比叡山口駅から徒歩20分

備考:境内自由(ただし、堂内拝観は要予約・有料)

ホームページ:聖衆来迎寺(滋賀県観光情報)

聖衆来迎寺地図

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