知恩院|お寺のシンボルは、正面にそびえる国宝三門(京都名所巡り)

京都東山を代表する名所の1つ、知恩院。
法然上人を祖とする浄土宗の総本山です。

東山三十六峰の1つ、華頂山麓の広大な境内。
そこには、国宝の三門や御影堂をはじめとする大伽藍が残ります。

今回は、京都でも屈指の規模を誇る大寺院、知恩院をご紹介します。

知恩院

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徳川家との縁の深い浄土宗総本山

現在残る伽藍の多くは、江戸時代初期、徳川家の援助によって建てられたもの。

徳川家が知恩院復興に注力した理由はいろいろありますが、1つは、徳川家康が浄土宗の熱心な信者であったこと。

知恩院を、家康の母の菩提寺と定めるほどの力の入れようでした。

その徳川家との縁の深さもあり、現在の知恩院の寺紋は、徳川家の家紋と同じ「三つ葉葵」。

この紋は、知恩院の境内のあちこちに見られます。
境内参拝の折に探してみましょう。

知恩院境内の三つ葉葵

知恩院境内の見どころ

知恩院の広い境内は、下から、下段、中段、上段の3つのエリアに分かれています。

上段は、法然上人の草庵があったとされる場所で、創建以来の古い寺域。
これに対して、中段・下段は、後年、徳川家によって拡張された、比較的新しい寺域です。

(下段)巨大三門がそびえる知恩院の入口

下段は知恩院の入口。
その正面には雄大な三門がそびえるように立っています。

知恩院のシンボル的な存在の三門。
高さ24m、横幅50mの巨大な二重門で、現存する寺院の門としては最大です。
江戸時代初期、元和7年(1621年)の建立。国宝指定。

知恩院三門

三門の先には、上の中段へ向かう二つの坂があります。

三門のすぐ背後にあるのは、直線的にのびる男坂。
結構きつい石段ですが、途中、後ろを振り向けば、三門の背後に広がる京都の街を一望できます。

一方、三門の後方、右手には緩い女坂がのびています。
男坂を下から眺めてちょっとしんどいなと感じたら、無理せず、女坂から登りましょう。

知恩院・三門先の男坂

(中段)主要伽藍が立つ境内中心地

中段には、知恩院の重要なお堂が集まります。
その中心は、浄土宗の宗祖、法然上人の像(御影)を祀る御影堂。

江戸時代の初期に焼失したものの、寛永16年(1639年)に再建。国宝指定。
間口44.8m、奥行き34.5m。知恩院で最大のお堂です。

(注)現在、御影堂は大修理の真っ最中。2019年工事完了予定。

知恩院御影堂

御影堂の近くには阿弥陀堂。
本尊仏である、大きな阿弥陀如来の坐像が安置されています。

なお、この阿弥陀堂は、明治時代に再建された建物です。

知恩院阿弥陀堂

もう1つ、中段で訪れておきたいお堂は、集会堂(しゅうえどう)。
寛永12年(1635年)の建立で、国重要文化財指定。

集会堂は、もとは、お坊さんの修行に使用されるお堂。

ただし、御影堂大修理に伴い、御影堂の法然上人像が一時的にここへ移されています。
そのため、現在、このお堂は「法然上人御堂」という名で呼ばれています。

知恩院集会堂(法然上人御堂)

(上段)法然上人が眠る静寂な空間

中段の奥、長い石段を登った先にある上段。

ここは、法然上人が営んだ庵があった場所。
知恩院の創建以前から存在する、いわば、浄土宗発祥の地です。

大勢の参拝客で賑わう中段とは違い、訪れる人も少ない静寂な空間。
この中には、法然上人が眠る御廟があります。

知恩院上段(法然上人廟所)

御廟の近くに立つ勢至堂(せいしどう)は、現在の知恩院の中で最も古い建物。
勢至菩薩を安置するお堂で、室町時代の1530年の建立。
国重要文化財にも指定されています。

知恩院勢至堂

勢至堂のさらに奥には、徳川家康の孫娘、千姫のお墓があります。

千姫は、豊臣秀頼の正妻でしたが、豊臣家滅亡時に大坂城から救出。
その後は、本多忠刻に嫁いで姫路城で暮らしました。

浄土宗に深く帰依していたこともあり、徳川家とのゆかりの深い知恩院で菩提が弔われています。

知恩院・千姫の墓

知恩院の基本情報

住所:京都府京都市東山区林下町400

電話番号:075-531-2111

アクセス:
(地下鉄東西線)東山駅から徒歩8分
(京阪)祇園四条駅から徒歩10分
(阪急)河原町駅から徒歩15分
(バス利用)市バス知恩院前下車、徒歩5分

ホームページ:浄土宗総本山 知恩院

備考:境内拝観自由(方丈庭園は拝観有料)

知恩院地図

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