大阪城公園のすぐ南に、「玉造」と呼ばれるエリアがあります。
この玉造は、古代より知られる歴史ある地。
豊臣時代には、秀吉が築いた大坂城の三の丸がありました。
今回ご紹介する名所は、この玉造に鎮座する玉造稲荷神社です。
ここは、大坂城の鎮守として豊臣家からも篤く崇敬された社。
豊臣家の二代目、豊臣秀頼公とのゆかりも深い場所です。
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境内西側にはお稲荷さん
現在は住宅地に囲まれた中に鎮座する玉造稲荷神社。
大阪市内、中心部近くにあるにもかかわらず、境内はまずまずの広さです。
その境内西側には、本殿と拝殿からなる立派な社殿が立っています。
奥の本殿に祀られる祭神は、宇迦之御魂神(ウカノミタマ)。
この神さまは、いわゆるお稲荷さん。京都の伏見稲荷大社でも祀られています。
ウカノミタマは穀物の神さまとして知られますが、商工業の神さまでもあります。
大坂城の豊臣家によって崇敬された玉造のお稲荷さん。
江戸時代には、商売繁盛の神さまとして大坂商人たちにも崇められました。
境内東側に広がる豊臣秀頼ゾーン
一方、境内東側は、豊臣秀頼ゆかりのスポットが残る「秀頼ゾーン」。
豊臣秀頼像
まず目につくのが、西を向いて立つ豊臣秀頼の銅像。
顔つきにやや幼さも残る、公家装束の「貴公子風」秀頼公です。
胞衣塚大明神
境内北側には、境内末社の1つ、胞衣塚大明神(よなづかだいみょうじん)があります。
胞衣(えな)を祀る、珍しい社です。
胞衣とは女性の胎盤や卵膜のことですが、普通の人の胞衣ではありません。
ここに祀られるは、豊臣秀頼の母・淀殿の胞衣。
つまり、秀頼公と淀殿をつないでいた、大変貴い胞衣です。
豊臣秀頼奉納鳥居
奥には、頭部分だけの古い石鳥居が残ります。
これは、慶長8年(1603年)の社殿再建の際に、豊臣秀頼によって奉納されたものです。
この鳥居は、元々は、玉造稲荷神社の正面に立っていました。
しかし、1995年の阪神・淡路大震災で基礎に損傷を受けました。
現在は、頭部と脚部とに分けて、別々に保存されています。
玉造稲荷神社の基本情報
住所:大阪市中央区玉造2丁目3−8
電話番号:06-6941-3821
アクセス:(JR・大阪メトロ)玉造駅または森ノ宮駅から徒歩8分
備考:境内自由
ホームページ:玉造稲荷神社