現在の大阪城公園の南に、玉造(たまつくり)という地名が残ります。
この玉造は、真田幸村(信繁)とのゆかりの深い場所。
大坂の冬の陣では、「真田丸」という名の出城を築き、徳川方を苦しめました。
今も玉造の各地に、真田幸村や大坂の陣に関係する歴史名所が残ります。
その中でも、今回は、「真田の抜け穴」で知られる三光神社をご紹介します。
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三光神社の見どころ
三光神社は、古代の反正天皇の治世の創建とも伝わる、由緒ある社です。
また、真田幸村が築いた真田丸からほど近い場所にあるこの神社。
境内には、幸村ゆかりのスポットも残ります。
祭神の三貴子と寿老人
三光神社の境内では、まずはご本殿へお参りを。
境内の一段高いところに立つ三光神社の社殿。
奥のご本殿に祀られるのは、アマテラス(天照大神)、ツクヨミ(月読尊)、スサノオ(素戔嗚尊)の三柱。
イザナギの禊(みそぎ)で誕生した「三貴子」です。
また、三光神社の歴代神職は、武内宿禰(たけのうちのすくね)の子孫と伝わります。
武内宿禰は、古事記や日本書紀に登場する伝説の人物で、第12代の景行天皇~第16代の仁徳天皇まで、5代の天皇に仕えたとされています。
たいへん長生きした人物としても知られます。
その縁で、三光神社では、長寿の神さま・寿老人を祀ります。
大阪市内の七福神めぐりの霊場、「大阪七福神」の1つです。
真田幸村ゆかりの地
また、この三光神社は、大坂の陣や真田幸村とのゆかりの深い場所。
大坂の陣とは、徳川幕府が豊臣家の大坂城を攻め立て、最終的に落城させた戦いです。
その大坂の陣における豊臣方の有力武将の一人が、真田幸村です。
大坂の陣の第1ラウンド・冬の陣では、大坂城の南側を守るべく、この三光神社近くに「真田丸」と呼ばれる出城(防御施設)を築きました。
幸村の見事な采配もあり、真田丸に籠もった真田勢は、少数ながら徳川の大軍を相手に奮戦。
この戦で、真田の武名を世に知らしめました。
この真田丸の近くにある三光神社。
境内には、「真田の抜け穴」と呼ばれる大きな穴が残ります。
これは、真田幸村が、大坂城との連絡・行き来のために掘ったと伝わる穴。
普段は、穴の入口は鉄扉で閉じられ、中に入ることはできません。
ただし、毎年11月の第1日曜日に行われる「真田祭」にて、この抜け穴が1日限定で開放されます。
本当に大阪城に続いているの?と気になる方は、ぜひ、真田祭にご参加ください。
また、社務所には、御朱印帳、お守りなど真田幸村のオリジナルグッズがあります。
絵馬ももちろん真田、家紋の六文銭がしっかり描かれています。
周辺の真田名所めぐり
三光神社の周辺には、今も「真田」の地名があちこちに残ります。
地名だけでなく、真田幸村ゆかりの名所もあります。
三光神社への参拝と合わせて、周辺にも足をのばしてみましょう。
真田丸跡
真田丸の場所は、昔から玉造周辺と考えられてはいたものの、その正確な場所は長らく不明でした。
しかし、新たな資料の発見や現地調査の結果、近年では、三光神社西にある明星学園の敷地内という説が有力です。
真田丸の推定場所は、現在、学校のグランドになっており、当時の遺構などは残っていません。
ただ、グランドの前に「真田丸顕彰碑」が建てられています。
心眼寺
心眼寺(しんがんじ)は、真田丸跡(明星学園)と通りを隔てて東側にあります。
ここは、真田幸村の菩提を弔うために建てられたお寺。
境内には、真田幸村出丸跡の石碑や、幸村の墓所などがあります。
円珠庵(鎌八幡)
真田丸跡の西には、円珠庵(えんじゅあん)というお寺があります。
真田幸村が真田丸を築いた際に、このお寺の境内のご神木に鎌を打ち付けて戦勝祈願をしたというという逸話から、「鎌八幡」の名で知られます。
なお、参拝はできますが、境内の写真・動画撮影は全面禁止です。ご注意ください。
三光神社の基本情報
住所:大阪市天王寺区玉造本町14−90
電話番号:06-6761-0372
アクセス:(JR)玉造駅から徒歩5分 (大阪メトロ・長堀鶴見緑地線)玉造駅から徒歩2分
駐車場:無(近くのコインパーキングなどを利用)
ホームページ:三光神社