奈良県大和郡山市の東部。市内を南北に貫く佐保川の東側に、田んぼが連なるのどかな風景が広がります。
ここには、水を湛えた濠に囲まれた古い集落があり、稗田(ひえだ)環濠集落と呼ばれています。
今回ご紹介するのは、その環濠集落の中に鎮座する古社、賣太神社(めたじんじゃ)です。
環濠集落の中の古社
弥生時代の日本では、濠で周囲を囲まれた、環濠集落と呼ばれる村落が各地にありました。
当時から何千年も経た現代でも、一部の環濠集落が残されています。
その1つが、大和郡山の稗田環濠集落。良好な状態で残るこの環濠集落は、歴史の教科書などでもよく取り上げられています。
周囲一面田んぼが広がる中に環状の濠が良好な状態で残ります。
水をなみなみと湛えた環濠の中に、集落全体がすっぽりと取り囲まれているのがよくわかります。

この環濠集落の南東の一角にあるのが、賣太神社。
詳しい創建時期は不明ですが、かなり古い時代から存在していたとされる社。
今から1400年以上前の飛鳥時代前期、推古天皇・聖徳太子の時代よりも前の創建とも言われています。

祭神は古事記の生みの親
鳥居をくぐった先の賣太神社の境内、参道の一番奥に見える建物は拝殿です。
その拝殿に隠れるように、さらに奥に春日造りの本殿が立っています。

賣太神社の本殿に祀られる主祭神は稗田阿礼(ひえだのあれ)。日本最古の歴史書・古事記の編纂に関わった人物です。
天武天皇の舎人(とねり)であった稗田阿礼は、非常に聡明で、また、記憶力抜群の人物だったそう。
頭に記憶していたさまざまなことを声に出して語り、それを別の人物が文字にして書き留めてできたのが、古事記とされています。

頭脳明晰な古事記の生みの親、稗田阿礼を祀る賣太神社は、学問の神さま・物語の神さまとして広く信仰されています。
また、賣太神社では、稗田阿礼の他、アメノウズメ(天宇受賣命)、サルタヒコ(猿田彦神)も副祭神として祀られています。
アメノウズメは、アマテラスの岩戸隠れの際に、大岩の前で踊った女神。芸能の神さまとして知られます。
また、サルタヒコは、ニニギの天孫降臨の際に先導役を果たした男神。こちらは、土地・方位の神、転じて、方除け・厄除けの神さまとされています。

賣太神社の基本情報
住所:奈良県大和郡山市稗田町319
アクセス:(JR)郡山駅から徒歩20分
駐車場:有(10台)
備考:境内参拝自由