金剛寺は、大阪府河内長野市にあるお寺。山号は天野山。真言宗御室派の大本山です。
奈良時代天平年間、聖武天皇の勅願・行基の開基と伝わる古刹。奥河内の山に囲まれた閑静な境内には、鎌倉時代からの伽藍が残ります。
また、南北朝時代の南朝とのゆかりも深いお寺です。
鎌倉時代から残る伽藍
金剛寺では、平安時代末期~鎌倉時代にかけて伽藍の造営が行われました。
その後は幸いにも大きな焼失もなく、その当時の伽藍がほぼそのまま残ります。

楼門
境内でひときわ目立つ朱色の大きな楼門は、鎌倉時代後期の再建。国の重要文化財指定。
門の左右には、持国天像と増長天像の二天が立ちます。二天像は鎌倉時代の作で、こちらも国重要文化財の指定を受けています。

金堂
楼門をくぐった先には、山を背にした閑静な空間。ここに、平安時代~鎌倉時代にかけて建てられた伽藍が残ります。

伽藍の中心は、右手奥に立つ鮮やかな朱色の金堂。鎌倉時代の建築で、国重要文化財の指定を受けています。
金堂の中には、三体の大きな仏さまが安置されています。中央に大日如来、向かって右に不動明王、左に隆三世明王。三体はすべて国宝に指定されています。
金堂は堂内の拝観可能、国宝三尊も直接拝めます。

多宝塔
金堂の横に立つ多宝塔、こちらも鮮やかな朱色の仏塔です。
多宝塔は平安時代の創建。過去に大規模な改修がなされてはいるものの、石山寺の多宝塔と並ぶ、日本最古の多宝塔です。国重要文化財の指定を受けています。

南朝ゆかりのお寺
金剛寺は、同じ河内長野の観心寺とともに、南北朝時代の後醍醐天皇やその後継皇統の南朝とのゆかりが深いお寺です。
特に、南朝二代の後村上天皇は、この金剛寺に行宮(仮宮)を置いて政務をとりました。
今も、金剛寺境内には南朝ゆかりの建物が残ります。
食堂
金堂の手前に立つ食堂(じきどう)。国重要文化財指定の建物です。
食堂は、本来、お寺の僧が食事などをする場所です。
しかし、南朝行宮が置かれた際にはここに正庁が置かれました。「天野殿」とも呼ばれています。

御影堂
金堂の背後に立つ御影堂は、真言宗の宗祖、弘法大師空海の御影を祀るお堂。国重要文化財指定。
この御影堂には東に少し張り出した部分があります。
いかにも増築した感じのこの部分は、観月亭と呼ばれています。後村上天皇が、ここで月見をされたという話が残ります。

摩尼院(南朝行在所)
金剛寺の塔頭(子院)の1つ、摩尼院(まにいん)も南朝ゆかりの場所。
金剛寺に南朝行宮が置かれたときに、後村上天皇が仮の住まいとした建物です。

本坊庭園と北朝御座所
金剛寺では本坊も見どころです。先ほどご紹介した金堂などとは少し離れた場所にあります。
本坊の奥には、美しい枯山水庭園が広がります。
石組みが点在する中に、松や紅葉などの高木と刈り込まれた低木。地面を覆う青々とした苔も美しいです。

庭園の奥に立つ奥殿は、北朝御座所とも呼ばれます。
南北朝時代の戦乱の中で、北朝の三人の上皇(光厳・光明・崇光)と直仁親王が南朝に捕らわれるという事件がありました。
そのときに、北朝上皇たちの「軟禁場所」となったのがこの北朝御座所です。
なお、軟禁時期は南朝行宮が置かれた時期と重なります。ということは、南朝天皇と北朝上皇が、一時期、同じ場所で暮らしていたことになりますね。
北朝御座所の中は、畳敷きの部屋がいくつも並ぶ広い空間。ところどころに襖絵や彫刻があり、格式の高さが今も感じられます。

金剛寺の基本情報
住所:大阪府河内長野市天野町996
拝観時間:9:00~16:30
拝観料:(伽藍)大人200円 小学生100円 (本坊)大人400円 小学生200円 (伽藍本坊共通券500円もあり)
アクセス:(南海・近鉄)河内長野駅から南海バス、天野山バス停下車すぐ
駐車場:有
ホームページ:天野山金剛寺