喜光寺|行基ゆかりのお寺に残る「試みの大仏殿」(奈良名所巡り)

喜光寺本堂正面 寺院(奈良)

奈良のお寺というと、東大寺興福寺など、東の大寺院を思い浮かべる方が多いですが、平城宮跡の西側にも創建の古いお寺が残ります。

西のお寺としては西大寺が有名ですが、その西大寺の南に、もう1つ、歴史あるお寺があるのをご存じでしょうか。

それが、奈良時代の名僧・行基(ぎょうき)とのゆかりの深い古刹、喜光寺(きこうじ)。

現在は、興福寺薬師寺を大本山とする法相宗のお寺です。

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行基と「試みの大仏殿」

喜光寺は、奈良時代の721年、行基による創建と伝わります。

行基は、聖武天皇に請われ、東大寺の建立に尽力した僧侶です。

近鉄奈良駅前、通称「行基広場」に立っているお坊さん、あれが行基さんです。

近鉄奈良駅・行基像

また、伝承によれば、行基は、東大寺大仏殿の造営に際して、まず、小さなお堂をひな形として建てて参考にしたとか。

その大仏殿のひな形となったのが、ここ喜光寺の本堂だそうです。

東大寺大仏殿|大仏を丸ごと覆う、世界最大級の木造建築(奈良名所巡り)
奈良市の東大寺大仏殿をご紹介。東大寺本尊の大仏(盧舎那仏)を安置する金堂で、世界最大級の木造建築。堂内には、大仏の他にも、二体の脇侍など大きな仏像が建ち並びます。大仏の鼻の穴と同じ大きさ「柱くぐり」の穴は参拝客に人気。

この話から、喜光寺本堂には「試みの大仏殿」という別名がついています。

なお、行基は、749年、東大寺大仏の開眼を待たずして亡くなりました。

その入滅の地とされているのもこの喜光寺。なにかと行基とのゆかりの深いお寺です。

喜光寺本堂遠景

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喜光寺の境内見どころ

創建以来、何度も伽藍焼失の憂き目にあってきた喜光寺、さすがに創建時の建物はありません。

現在の境内に残る伽藍は、中世以降に再建されたものです。

南大門

遠くからでもよく見える大きな朱色の南大門。喜光寺の正門です。

戦国時代に焼失した後、数百年間も正門がない状態が続きましたが、2010年にようやく再建されました。

神社ではよく見かけますが、お寺では少々珍しい、三間一戸の楼門形式の門。

門の入口左右には仁王さま。いかつい顔で参拝者を迎えてくれます。

喜光寺南大門

本堂

南大門をくぐった先、正面に立つ大きなお堂が、喜光寺の本堂。

寄棟造り、正面五間・奥行四間・高さ17mの豪壮な大建築です。

なお、二層(二階建て)のお堂にも見えますが、実は単層。下の屋根のように見えるのは、裳階(もこし)と呼ばれる「ひさし」です。

この本堂は室町時代の再建。国重要文化財に指定されています。

喜光寺本堂正面

また、先ほどもお話ししましたが、「試みの大仏殿」とも呼ばれるこの本堂。

もちろん、今の東大寺大仏殿も喜光寺本堂も、創建当初のものではありません。

それでも、下の写真のように並べて見比べてみれば、結構似ている感じがしませんか?

(左)東大寺大仏殿・(右)喜光寺本堂

この本堂には、喜光寺ご本尊の阿弥陀如来坐像が安置されています。

左右に、観音菩薩・勢至菩薩の二菩薩を脇侍として従えた、阿弥陀三尊の形式で祀られています。

その中でも特に、中尊の阿弥陀如来は、平安時代後期の作で、国重要文化財に指定されています。

左右脇侍の頭の上には、雲中供養菩薩が浮かんでいます。雲にのって楽器を奏でる、色鮮やかで美しい菩薩さまです。

喜光寺本堂斜視

弁天堂

大きな本堂の背後には、池に浮かぶ小さな祠のようなお堂があります。これは弁天堂。

鎌倉時代、西大寺を再興した叡尊上人が、鎌倉・江ノ島の弁財天を勧請して建てたと伝わる、由緒ある弁天さま。

堂内奥に置かれた厨子には、蛇のような姿をした宇賀神像が納められています。

なお、普段は厨子の扉は閉じられていますが、お正月など期間限定で開扉されます。

喜光寺弁天堂

石仏たち

最後に、境内の西側にずらりと並ぶ石仏たちをご紹介。

同じような大きさの石仏ですが、よく見るとそれぞれ姿形が違います。

お地蔵さまが多そうですが、観音さま、阿弥陀さま、お不動さんの姿もあります。

どんな仏さまがいらっしゃるのか、近づいて眺めてみましょう。姿形だけで、仏さまの種類がおわかりになるでしょうか。

喜光寺境内の石仏

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喜光寺の基本情報

住所:奈良市菅原町508

拝観時間:午前9時~午後4時

拝観料:大人500円 小中生300円

アクセス:
(近鉄橿原線)尼ヶ辻駅から徒歩10分
(近鉄奈良線)大和西大寺駅から徒歩20分

駐車場:有(南大門前に15台)

ホームページ:喜光寺

喜光寺地図