萬福寺(まんぷくじ)は、京都府宇治市にあるお寺で、黄檗宗(おうばくしゅう)の総本山。
黄檗宗は日本の禅宗の一宗派であり、萬福寺も禅寺の1つ。
ただ、京都市内でよく見かける臨済宗などの禅寺とはかなり雰囲気が違います。
数多くの寺院が集まる京都の中でも、特に個性際立つお寺です。
中国風の建物が並ぶ境内
萬福寺の開山は、江戸時代に中国から招かれた高僧、隠元隆琦(いんげんりゅうき)。インゲン豆の名前の由来にもなった人物です。
黄檗宗は、この隠元を開祖とする仏教宗派で、禅宗の1つ。ただし、他の宗派からはかなり遅れ、江戸時代に成立しました。
そのため、同じ禅宗でも、鎌倉時代に中国から伝わった臨済宗や曹洞宗とは違い、中国仏教の特徴を色濃く残しています。
その影響は、黄檗宗大本山である萬福寺にも現れています。
立派な扁額がかかった中国風の建物が立ち並ぶ、萬福寺の境内。和風の禅寺とはかなり異なる、独特の雰囲気を醸し出しています。

萬福寺の見どころ
萬福寺の創建は、江戸時代前期の1661年(寛文元年)。江戸幕府の援助を受けて、大伽藍を完成させました。
この創建時の建物の多くが、今も萬福寺の境内に残ります。
三門、天王殿、大雄宝殿、法堂の、4つの建物が一直線に並ぶ境内。これらの建物を中心に、萬福寺の見どころをご紹介していきましょう。

三門
総門をくぐった先の境内に立つ三門。1678年の建築で、国重要文化財指定。
南禅寺や東福寺などの一般的な禅寺三門に似た、大きな二重門です。
ただ、よく見ると異なる点もちらほらと。
臨済宗の三門の多くは、柱間5つ・開口3つのいわゆる「五間三戸」。しかし、この萬福寺三門は、柱間3つ・開口3つの「三間三戸」です。
また、いくつも扁額がかけられている点も、この三門の特徴。門の表側は下層と上層に1つずつ、さらに、門の裏側にも別の扁額がありますよ。

天王殿と弥勒菩薩
一般的な禅寺では、三門の後ろには仏殿(本堂)が立ちます。
しかし、萬福寺では、三門と本堂との間に、もう1つ、天王殿という建物が入ります。
天王殿は1668年の建築で、国重要文化財指定。

天王殿の堂内中央には、萬福寺を代表する個性的な仏像があります。
それは、でっぷり太った弥勒菩薩。
弥勒菩薩というと、京都・広隆寺や奈良(斑鳩)・中宮寺などの華奢な像を思い浮かべる方も多いですが、ここの弥勒さまは違います。
ぽっこりとお腹が出たメタボ体型のこの像は、七福神の布袋(ほてい)さんそのもの。
これは、昔から、中国では、布袋が弥勒菩薩の化身とされているためです。

大雄宝殿
天王殿の後ろにある大雄宝殿は、萬福寺の本堂にあたるお堂。
この大雄宝殿には、萬福寺本尊の釈迦如来像が安置されています。
天王殿と同じく1668年の建築で、国重要文化財指定。

法堂
法堂(はっとう)は、大雄宝殿のさらに後ろに立つ、入母屋造の横に長いお堂です。
1662年の建築で、国重要文化財指定。

法堂の前には、中国風の高欄があります。いわゆる「卍崩し」と呼ばれる意匠の手すりです。
法隆寺の金堂など、創建の古いお寺でも見かけることがありますが、臨済宗の禅寺ではあまり用いられません。

斎堂と魚梆
大雄宝殿向かって右側に立つ斎堂。ここは、お寺のお坊さんが食事をする場所です。
1668年の建築で、国重要文化財指定。

この斎堂の前には、天王殿の弥勒菩薩と並ぶ、萬福寺のシンボルがあります。
それは、大きな魚梆(ぎょほう)。開梆(かいばん)とも呼ばれる、魚の形をした木の板です。
魚梆は、黄檗宗のお寺によく見られるもので、食事などの時刻を知らせるために用いられます。
ただ、この萬福寺のものは、黄檗宗大本山にふさわしい「特大魚梆」。
今もこの魚梆は使われています。太い木の棒で、お坊さんがこの魚梆を叩く様子を見ることもできますよ。

萬福寺の基本情報
住所:京都府宇治市五ケ庄三番割34
電話番号:0774-32-3900
拝観時間:9:00~17:00(受付は16:30まで)
拝観料:大人・大高生500円 中小生300円
アクセス:(JR奈良線)黄檗駅から徒歩5分 (京阪宇治線)黄檗駅から徒歩5分
駐車場:有
ホームページ:黄檗宗大本山 萬福寺