沙沙貴神社|佐々木氏発祥の地に立ち並ぶ、厳かな社殿(滋賀名所巡り)

織田信長の安土城で知られる、琵琶湖岸の安土。
しかし、信長がこの地を治めたのは、実は数年間に過ぎません。

信長の支配前、この安土一帯は、長年にわたり、近江の名門・佐々木氏の根拠地でありました。

今でも、繖山(きぬがさやま)の観音寺城跡など、佐々木氏とのゆかりの深い名所が残ります。

その1つが、佐々木氏の氏神、沙沙貴神社(ささきじんじゃ)です。

沙沙貴神社

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ここは佐々木氏発祥の地

佐々木氏は、佐々木荘を発祥とする、宇多源氏の一族・近江源氏の名門です。

鎌倉時代以降、近江守護を代々務め、続く室町時代には幕府要職をも歴任

また、佐々木氏の本流・六角氏の居城は、繖山に築かれた観音寺城。

織田信長に攻め落とされるまで、佐々木氏の本拠として栄えました。

沙沙貴神社入口

この地に鎮座する沙沙貴神社は、景行天皇時代の創建とも伝わる由緒ある社。

佐々木氏の祖神も祀られたことで、氏神としても崇められることになりました。

佐々木氏発祥の地に立つ沙沙貴神社、今も、全国の佐々木姓の方々から篤い崇敬を受けています。

沙沙貴神社・境内風景

沙沙貴神社の境内見どころ

さて、現代の沙沙貴神社は、JR安土駅の南側、住宅と田園が入り交じった静かなエリアにあります。

7000坪の広さを誇るその境内は、古風な社殿が立ち並ぶ厳かな空間。

参道を奥へと歩んでいくにつれ、身も心も自然と引き締まります。

沙沙貴神社参道

楼門

参道を奥へと進むと、正面に見えてくる大きな門。
これは楼門。江戸時代中期の1747年の建築です。

大きな神社でよく見かける楼門とは違い、柱など朱色に塗られていない古風な門。
また、屋根も、一般的な瓦葺きではなく葭(ヨシ)葺き。

「由緒ある古社」を強く印象づける門です。

沙沙貴神社楼門

拝殿

楼門をくぐった先、正面に立つのは拝殿。

三間四方・入母屋造り、そして、四方吹き放しの社殿。
こちらは江戸時代後期の1848年の建築です。

沙沙貴神社拝殿

本殿

拝殿の背後に見えるのは弊殿、その奥にあるのが本殿です。

江戸時代後期に建てられたこの本殿。
広い境内の中心に鎮座するにふさわしい、五間流造りの立派な社殿です。

主祭神の少彦名命(スクナビコナ)、佐々木源氏の祖神(宇多天皇・敦実親王)など、5柱の神さまが祀られています。

沙沙貴神社弊殿・本殿

権殿

本殿の左側にあるのは権殿。
拝殿・本殿と同時期(江戸時代後期)の建立です。

この権殿には、明治時代のある有名な人物が祀られています。

それは、陸軍大将・乃木希典。
日露戦争で陸軍第三軍を率いた乃木将軍、佐々木氏の子孫とされています。

沙沙貴神社権殿

佐々木氏ゆかりの名所めぐり

佐々木氏発祥の地に立つ沙沙貴神社。
その周辺には、他にも、佐々木氏とのゆかりのある名所が残ります。

繖山(きぬがさやま)

沙沙貴神社の東にそびえる、標高432mの繖山。
その山頂付近には、佐々木氏(六角氏)の居城・観音寺城がありました。

観音寺城は、日本を代表する山城の1つ。

現在の城跡には建物はないものの、石垣や曲輪の跡が残ります。
日本100名城にも選ばれています。

また、観音寺城跡の近くには、西国三十三所第三十二番札所の観音正寺(かんのんしょうじ)があります。

さらに、繖山の西側の中腹にも古刹あり。
天智天皇勅願とも伝わる桑實寺(くわのみでら)です。

(観音正寺・桑實寺の詳細は、「観音正寺」「桑實寺」のページをそれぞれご覧ください)

繖山

浄厳院

沙沙貴神社の北西には、浄厳院(じょうごんいん)というお寺があります。

織田信長により創建され、また、「安土宗論」の舞台となるなど、信長とのゆかりの深いお寺です。

しかし、実は、この浄厳院の前身は、佐々木六角氏の菩提寺。
浄厳院の入口には、六角氏の時代に建てられた楼門が残ります。

(詳細は、「浄厳院」のページをご覧ください)

浄厳院

沙沙貴神社の基本情報

住所:滋賀県近江八幡市安土町常楽寺一番地

電話番号:0748-46-3564

アクセス:JR安土駅から徒歩10分

駐車場:有

備考:境内参拝自由

ホームページ:沙沙貴神社

沙沙貴神社地図

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